to 日記と感想 2015年02月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


認知症予備軍。神を見失う不安 ++++++++ 所感

2015/02/28 05:50

150228(土)3時半目覚め。4時半起床。冷水洗顔●キリスト者の皆様お早うございます。朝の黙想「人は忘れても神は忘れない●最近立て続けに月を間違えて、空振りの行動をしてしまった。コンサート、市民税務相談、研究会。行って見たら「それは来月です」と言われて引き返してきた。手帳への書き込みミスであった。2月と3月が同じ曜日のためで3回とも書き込みミスしたのだ。●しかし「注意不足」は認知症予備軍の兆候ではないだろうか。2013年6月1日の日経には次のようにある。

・・・・ 65歳以上の高齢者のうち、認知症の人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上ることが1日、厚生労働省研究班(代表者・朝田隆筑波大教授)の調査で分かった。認知症になる可能性がある軽度認知障害(MCI)の高齢者も約400万人いると推計。65歳以上の4人に1人が認知症とその“予備軍”となる計算で、政府は早急な対策を迫られそうだ。・・・・・・

●老令による肉体の衰えは万人に共通の自然現象で致し方のないものだと思うが、キリスト者としての不安は「神や信仰を見失うのではないか」という心配である。●そこで今朝はこの心配や不安を克服するには聖書的にどこが助けになるかを探ろう。思いつくままを掲げる。

塚本訳 マタ 10:28-31
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。

10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

塚本訳 マタ 6:25-34
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である

塚本訳 ヨハ 11:42-44
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

塚本訳 Ⅱコリ4:15-18
4:15 何もかもあなた達のためにするのである。これは恩恵が増すにつれていよいよ多くの(信ずる)人たちが感謝にあふれ、神の栄光が揚がるためである。
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。

塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ
彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

塚本訳 マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

口語訳 詩  22:1-5
22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
22:2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。
22:3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。
22:4 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。

22:5 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。

口語訳 詩  22:9-11
22:9 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
22:10 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。
22:11 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです

口語訳 詩  22:22-27
22:22 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
22:23 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
22:24 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。

22:25 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
22:26 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
22:27 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。


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朝の黙想おわり。5時40分。人は神を忘れても神はわたしのことを忘れない。イエスは神を見失った。神の心が分からなくなった。それは神が捨てたから当然のことなのだ。神は人類の罪の贖いのために独り子を捨てたのだ。しかし十字架の死に意味があったことを神は有体的復活をもって証明した。
●私が認知症になって身内の顔が分からなくなっても、神は私の顔を忘れないで、復活の日に「名前で」呼び出してくださる。神に認知症なし。
●明日の集会感話の配布資料を確定した。

東京聖書読者会 3月1日 配布資料
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なぜ「一番大切な事」なのか

・・・神の子の栄光の回復。罪と死の悲しみから復活の希望へ・・・

2015年3月1日、東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5                         15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、            15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、     15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。 


①一番大切な事・・・神の子の栄光の回復。罪と死の悲しみから復活の希望へ     


①-1)口語訳 創  1:27                            1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、
神のかたちに創造し、男と女とに創造された。                        


①-2)口語訳 創  3:23-24                         3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から
追い出して、人が造られたその土を耕させられた。                           3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた


①-3)塚本訳 ロマ 3:23-24                           3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。                       3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

 

①-4)塚本訳 ロマ 5:12                            5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

①-5)塚本訳 ロマ 8:19-21                                                  8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。   8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。


①-6)塚本訳 使  20:24                         20:24 しかしわたしは、
自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら自分の命のことなど口にする値打もないと思う。      


①-7)塚本訳 Ⅰコリ2:1-2                         2:1 わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、
神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった。                        2:2 あなた達の間では、イエス・キリスト以外には何も(言うまい)知るまいと、決心したからである、十字架につけられたあの方以外には!


①―8)塚本訳 ピリ 3:13-14                                                   3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし
(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、           3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである

①-9)塚本訳ヨハ 6:28-29                        6:28 すると人々がたずねた、「(それをいただくために)神の(御心にかなう)業をするには、何をすればよいのでしょうか。」             6:29 イエスは答えられた、「神がお遣わしになった者を信ずること、これが(御心にかなうただ一つの)神の業である。」

①-10)塚本訳ヨハ 3:16                            3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

②わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのである・・福音は史実伝承 

     
②-1)塚本訳 マタ 21:42                           21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。
              

②-2)塚本訳 ピリ 2:6-11                           2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、                             2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、                   2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。                          2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。                               2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、                           2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

②-3)塚本訳 ルカ 1:1-2                            1:1 わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)                              1:2 最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、

                                

③キリストが聖書(の預言)どおりに・・人類救済の福音は預言の上に立つ        

③-1)口語訳 イザ 53:5-6                           53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。                            53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた

                          

③-2)塚本訳 使  3:18                                             3:18 しかし神はすべての預言者の口をもって、その救世主が苦しみをうけることを予告しておられたのであって、それをこんな風に成就されたのです。

③-3)塚本訳 ルカ24:44-47                      。               24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」                                24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて             24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。 
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と
(聖書に)こう書いてある

③-4)塚本訳 マタ 13:17                           13:17 アーメン、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなた達が(いま)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。

④わたし達の罪のために死なれたこと、・・・一番大切な事。罪が清められる。    

④-1)塚本訳 Ⅰヨハ2:2                            2:2 そして
彼こそわたし達の罪のための宥め(の供物)である。しかしただわたし達の罪のためだけでなく、この世全体のためでもある。

④-2)塚本訳 マコ 14:7-9                           14:7 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるから、したい時に慈善をすることが出来る。だがわたしはいつも一しょにいるわけではない。       14:8 この婦人はできるかぎりのことをした。──前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。                 14:9 アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。

⑤葬られたこと・・・イエスの死は歴史的事実。福音は史実の上に立つ。

⑤-1)塚本訳 マタ 27:63-66                         27:63 言った、「
閣下、あの嘘つきがまだ生きている時、『自分は(死んで)三日の後に復活する』と言ったことを思い出しました。         27:64 だから三日目まで墓を警備するように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て盗んでいって、人々に『イエスは死人の中から復活した』と言いふらさないとはかぎりません。そうなると、このあとの方の嘘は、(自分は救世主だと言った)前の(嘘)よりも始末が悪いでしょう。」        27:65 ピラトが言った、「番兵をかしてやる。行って、せいぜい(を)警備するがよかろう。」                         27:66 そこで彼らは行って(入口の)石に封印し、番兵を置いて墓を警備した


⑤-2)塚本訳 ルカ 23:54-55                         23:54 この日は支度日[金曜日]であったが、(もう夕方で、)安息日[土曜日]が始まろうとしていた。                     23:55 イエスと一しょにガリラヤから来た女たちは(ヨセフの)あとについて行って、
墓と、イエスの体が(そこに)納められる様子とを見とどけ

⑥聖書どおりに三日目に復活しておられること・・・有体的復活は歴史内の事     

⑥-1)塚本訳 マタ 12:40                           12:40 すなわち『ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中にいた』ように、
人の子(わたし)も三日三晩地の中におるのである


⑥-2)塚本訳 ヨハ 20:1                            20:1
(翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤがに来てみると、(の入口)から石がのけてあった。


⑥-3)塚本訳 ヨハ 20:8-9                           20:8 すると先に
に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。  20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。


⑥-4)塚本訳 使  2:32                            2:32
神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)


⑥-5)塚本訳 使  13:27-31 [パウロの説教第一]                                                             13:27 なぜなら、エルサレムに住んでいる人と彼らの(最高法院の)役人たちとは、
この方がわからず、安息日のたびごとに朗読される預言者たちの言葉もわからずに、判決を下してそれを成就し、                13:28 死罪にあたるなんの罪も認められないにもかかわらず、ピラトに願って彼を死刑にしてしまったのだから。                  13:29 そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろしてに納めた。            13:30 しかし神は彼を死人の中から復活させられ、           13:31 彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。                


⑥-6)塚本訳 使  2:23-24                                    2:23 このイエスを、神は一定の御計画と予見とによってくれてやられたところ、あなた達は律法を知らぬ(異教の)人々の手で磔にして
殺してしまった。                       2:24 しかし神は彼を死の苦痛から解いて復活させられた。死に捕らえられていることが出来なかったからです。
            
       

⑦またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現された。

・・・・復活の証人とその伝承の連鎖を信じよ 

⑦-1)塚本訳 使  1:3                                            1:3 イエスは(十字架の)苦しみを受けて(死なれ)た後も、多くの証拠をもって使徒たちに御自分が生きていることを示し、四十日の間彼らに現われて、神の国のことをお話になった。

⑦-2)塚本訳 マタ 16:15-17                       16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」                             16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

⑧福音を拒否する人に対するパウロの姿勢・・神に定められている人に向かえ 

⑧-1)塚本訳 ロマ 9:2-3                               9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)
わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。         9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。


⑧-2)塚本訳 使  13:46-48                                                13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし
君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。                              13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」                              13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者みな信者になった


⑧-3)塚本訳 使  16:14                         16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、
敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。


⑧-4)塚本訳 ロマ 11:5-7                         11:5 だから、同じように
今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。  11:6 しかし恩恵による以上は、もはや行いのゆえではない。そうでなければ、恩恵がもはや恩恵でなくなるからである。               11:7 それでは、どうだろうか。(結局)イスラエル人は(全体として)自分のほしがっているものを得ることはできず、(ただ小数の)選ばれた者がこれを得たのである。ほかの者は(みな)頑なにされてしまった。

         

⑨人生で「何が一番大切な事」であるかをイエスに問えば・・・神への信仰      

⑨-1)塚本訳 マコ 12:28-30                         12:28 一人の聖書学者がこの議論を聞いていたが、イエスがあざやかに答えられたのを見ると、進み出て尋ねた、「
どの掟がすべてのうちで第一ですか。」12:29 イエスは答えられた、「第一はこれである。──『聞け、イスラエルよ、われわれの神なる主はただ一人の主である。              
12:30 心のかぎり、精神のかぎり、』思いのかぎり、『力のかぎり、あなたの神なる主を愛せよ。』                        


⑨-2)塚本訳 ルカ 10:41-42                         10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、                                10:42
無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」


⑨-3)塚本訳 マタ 6:33                            6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。                                         6:33
あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。


⑨-4)塚本訳 ヨハ 6:28-29

6:28 すると人々がたずねた、「(それをいただくために)神の(御心にかなう)業をするには、何をすればよいのでしょうか。」

6:29 イエスは答えられた、「神がお遣わしになった者を信ずること、これが(御心にかなうただ一つの)神の業である。」


⑩死は眠り。また会える。神はすべてを御存知。・・復活の希望が確実に湧く


⑩-1)塚本訳ルカ 8:52
8:52
(集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

⑩-2)塚本訳ヨハ 11:23-26
11:25
イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。


⑩-3)塚本訳 マタ 10:28-31
10:28
体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29
雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

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3月1日集会感話配布資料 おわり


●妻は愛子の子供3人のピアノおさらい会に六本木へ。花を持っていった。
●健太郎は愛子とピアノ連弾だそうだ。
●それから「ロ短調ミサ曲」の練習。妻は忙しい。
●散髪屋。今日は割引で680円。
●図書館で有馬平吉著「ICU高校生のキリスト教概論名(迷)言集」を借り出す。有馬氏は地元あきる野市の「あきがわキリスト集会の主宰者」。







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行為ではなく祈り。祈りが最大の行為。 ++++++++ 所感

2015/02/27 06:32

150227(金)3時半目覚め、黙想、4時45分起床。冷水で洗顔●キリスト者の皆様緒お早うございます。●昨日観た映画「おみおくりの作法」の主人公はどうやら独り身で身よりがないようだ。最後に結婚の兆しが見えた矢先に交通事故で死ぬ。(昨日のブログ参照)●私はこういう孤独な人に主にある「福音の喜びと幸福」を伝えたいものだ。「信仰は一代」。この孤独な民生委員はパソコンが出来る●今朝の黙示「行為でなく祈り。祈りは最大の行為」●普通、「天に宝を積む」とは隠れた善行を思い浮かべる。

塚本訳 マタ 25:37-40
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

●しかし神の子キリストの真意はそういう行為にはなく、「ささやかな粘り強い祈り」が「天に宝を積む」ことなのだ解する。その裏付けの聖句を思い浮かぶままに並べる。

塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 ルカ 11:5-8
11:5 また彼らに言われた、「あなた達のうちのだれかに友人があって、夜中にその友人の所に行き、『友よ、パンを三つ貸してくれ。
11:6 旅先からわたしの友人が来たのに、何も出すものがないから』と言ったとき、
11:7 その友人は内から、『勘弁してくれ。もう戸締りをしてしまったし、子供たちもわたしと一しょに寝ている。起きてかしてやるわけにはゆかない』と答えるにちがいない。
11:8 しかしわたしは言う、(その人がなおもせがんで止まなければ、)友人だからというのでは起きて(パンを)かしてやらなくても、その厚かましさにはかなわず、起き上がって、必要なだけのものをかしてやるにちがいない

塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。

11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

塚本訳 マタ 21:20-21
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。

塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう

塚本訳 マコ 9:20-29
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 ヨハ 6:27-29
6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」
6:28 すると人々がたずねた、「(それをいただくために)神の(御心にかなう)業をするには、何をすればよいのでしょうか。」
6:29
イエスは答えられた、「神がお遣わしになった者を信ずること、これが(御心にかなうただ一つの)神の業である。」

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朝の黙想おわり。「信ずる者には何でもできる」。もしできるならと思ってはいけない。桑の木の根はしぶとくてなかなか抜けない。それお同じように、身内のあの人間、集会のあの「遊び人」の根深い罪や不信仰も「かすかでもいいから粘り強い」信仰によって根が抜ける。心も砕ける。
●「心は形になる」。「祈りは行為になる」。しかし祈りが先。祈りが先で行為はあと。祈りが先で説教や教会活動は後。祈りが先で、ヒューマニズムの活動はあと。なぜか。その方が効果が大きいからだ。

塚本訳 ルカ 10:17-20
10:17 七十二人が喜んで帰ってきてイエスに言った、「主よ、あなたの名を使うと、悪鬼までがわたし達に服従します。」
10:18 彼らに言われた、「悪魔が稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ていた。
10:19 (悪魔の下働きをする)『蛇』や蝎『を踏みつけ、』また敵のあらゆる力に打ち勝つ全権をあなた達に授けたではないか。だから、あなた達に害を加えるものは一つもない。
10:20 しかし(悪い)霊どもがあなた達に服従したことを喜ばず、自分の名が天(の命の書)に書き込まれていることを喜ばなくてはいけない。」

TSK日本語版31章
●次回感話の推敲
●妻はUさんの家へ、午後は自彊術(体操)
●川崎、中三学生殺人事件犯人逮捕。青少年の「心の空白」が根本の原因だと思う。
●15:20 山川歯科


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小聖書。ヨハネ3章16節 ++++++++ 所感

2015/02/26 08:40

150226(木)5時起床。●キリスト者の皆様おはようございます●来る3月1日の集会感話は「一番大切な事」であるが、その副題を書き直した。「神の子の栄光の回復。罪と死の悲しみから復活の希望へ」。パウロが渾身の力を込めてその人生を懸けたのは「神の子の十字架の意味と有体的復活の史実伝承」である。パウロはこの一つのことに人生を懸けた。●これは小聖書と言われる次の言葉と内的に一致する。

文語訳 ヨハ 3:16
3:16 それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。

口語訳 ヨハ 3:16
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

新改訳 ヨハ 3:16
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

新共同 ヨハ 3:16
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

NKJV ヨハ 3:16
3:16 "For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.

TEV ヨハ 3:16
3:16 For God loved the world so much that he gave his only Son, so that everyone who believes in him may not die but have eternal life.


●今朝は、この言葉はキリストの真正の言葉か、それとも初代教会の信仰がイエスの「口に入れた」ものなのかの探求をしてみたい。
●「学問は信仰の敵ではない」。これが無教会のテーゼである。破壊的かつ冷徹な聖書学はかえって真の信仰の土台になる。教会のドグマの奴隷から人を解放する。ただし正統信仰があっての冷徹な学問である。盥の水を流して赤ん坊を流すような愚を無教会はしてこなかった。
●ところが、赤ん坊を流す愚をやっている「無教会系」の聖書学者がいるから困るのだ。またそういう学者の研究余滴を「喜んで」聞く「不信仰者」がいるから困るのだ。
●では問題のヨハネ3:16の真正性について探求してみよう。
●ただし、これがイエスの言葉の」あるなしに関わらず、わたしの信仰は変わらない。
●米国で1980年代の半ばに「イエスセミナー」という活動が起こった。それは史的イエスの真相を研究しようというものであった。
●それ以前にドイツでも新鋭の聖書学者がイエス自身の「神の子意識」を疑う潮流が起こった。この種の波はキリスト教2千年の歴史である。
●無教会はこれを知りつつ、正統信仰を固辞してきた。ここに無教会の特徴がある。
●ヨハネ3:16がイエスの本当の言葉であるかどうかは「聖書で飯を食っている」暇人間に任せておけばよい。我々はその結論にかかわらず、聖書の中心的使信を信じ込む。
●今日は大旅行をした。9:30出発。乗り換えの高田馬場で、とんこつラーメン。銀座教会正午礼拝。入り口で長山牧師に「23年前に亡くなった父は、この教会で『本当の神』(父の言葉)に出会いました」と挨拶した。教文館和書部、洋書部、編集部、聖書図書館。森渓川のことを調べた。TSK日本語版のマタイを基督教文書伝道会から出版したが、その後どうしたのか追究するため。後継者に長男の稔氏がいることが分かった。14:50 シネツイッチ銀座で英国映画「おみおくりの作法」。市役所の民生委員である主人公(独身らしい)は、身寄りのない老人が死んだ場合、身内を探し出してささやかな葬儀をする。最後は自分が44歳の若さで交通事故で亡くなる。見終わっての感想。「人生って何だろう。淋しいだけじゃーないか」「キリスト教では身内を重要視しない風潮があるが、やはり身内血族というのは大切だ」。18:00「キリスト教性教育研究会」のために後楽園の富阪キリスト教センターに行くも月を間違えてしまった。●最近、月を間違えて出かけて空振りしたのはこれで3回目。少し頭がおかしくなったか。●20;15帰宅。安らぐ。私には「身寄り」がある。感謝。











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死の悲しみから解放される喜びは、十字架と有体的復活の史実伝承による ++++++++ 所感

2015/02/25 04:52

150225(水)3時目覚め、4時起床。冷水洗顔●キリスト者の皆様お早うございます。●朝の黙示「死の悲しみから解放される喜びは、十字架と有体的復活の史実伝承による」●4日後の集会感話は初代教会最古の伝承と言われている「第一コリント15:3-5」である。その表題は「なぜ『一番大切な事』なのか」である。その副題を啓示されたのである。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●死に直面している人への励ましの言葉として「死は眠りだ」と言ってきた。パウロのこの「一番大切な事」の意味もこれに通じる。つまり十字架によって罪が清められて復活の栄光に与ること、これが死に直面している人への「一番大切な史実伝承による励まし」の言葉である。理論ではない。悟りではない。人間の信仰ではない。●神は十字架と有体的復活の「史実」で死に直面している人間(これ人類全体)に励ましを与えた。これが福音の中心である。●伝道者はその史実を伝承告知する。聞く人がそれを信じるか信じないかは「神次第」。誰が信仰を持つか」は神次第。●今朝は感話の骨子を書く。引照聖句は長くなるので省略。



3月1日集会感話の骨子。引用聖句は省略。全文は2月28日(土)にアップする。
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なぜ「一番大切な事」なのか

死の悲しみから解放される喜びは、十字架と有体的復活の史実伝承による

2015年3月1日、東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5                             15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、                     15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、        15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。 

                                         ①一番大切な事・・・神の子の栄光の回復。罪と死の悲しみから復活の希望へ

②わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのである・・・史実伝承

③キリストが聖書(の預言)どおりに・・・福音は旧約聖書の預言の上に立つ

④わたし達の罪のために死なれたこと、・・・罪が清められる

⑤葬られたこと・・・イエスの死の史実性

⑥聖書どおりに三日目に復活しておられること・・・有体的復活は歴史内の事

       

⑦またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされた・・証人

⑧福音を拒否する人に対するパウロの姿勢・・神に定められている人に向かえ

⑨「何が一番大切な事」であるかのイエスの答え・・・信仰第一の人生

⑩死は眠り。また会える。神はすべてを御存知。・・・死にゆく人への励まし    


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●朝の黙想おわり。5時50分
●TSK日本語版エゼキエル書29-30章
●私のブログの相手は「聖書への密着者」。見えざる「残りの者」。
●父上を送った人に慰労の電話。キリスト者の死は明るい。これが異教国日本への最大の伝道方法である。神の国は言葉でなく力である。

口語訳 Ⅰコリ4:20
4:20 神の国は言葉ではなく、力である。


新改訳 Ⅰコリ4:20
4:20 神の国はことばにはなく、力にあるのです。


新共同 Ⅰコリ4:20
4:20 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。


塚本訳 Ⅰコリ4:20
4:20 神の国は言葉にはなく、力にあるのだから。


文語訳 Ⅰコリ4:20
4:20 神の國は言にあらず、能力にあればなり。


NKJV Ⅰコリ4:20
4:20 For the kingdom of God is not in word but in power.


TEV Ⅰコリ4:20
4:20 For the Kingdom of God is not a matter of words but of power.




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「死の時」は神が決めて下さり、その瞬間を見守ってくださる ++++++++ 所感

2015/02/24 05:38

150224(火)4時40分起床●キリスト者の皆様お早うございます。昨日はKB氏の死の瞬間の御様子を御夫人から伺った。子や孫が讃美歌を次々と歌い、聖書を読んで励まし、孫たちは脈をとりつつ「おじいちゃんありがとう」と言いながら頭を撫でたという。そして安らかに逝ったという。●数多くの葬儀に参加したが、家における死の瞬間にこのように家族が立ち会って見送ったという例は初めて聞いた。これに霊感が湧いた。「死の時は神が決められ、その瞬間は見守っていてくださる。」のだと。●人は普通病院で死ぬ。しかし、祖父の死に立ち会った孫たちにとっては非常に貴重な体験でして、生涯の益となると思う。●思うにキリスト者は「死に行く人を励ます」ためにその存在意義があるものと考える。●「死に行く人」とは家族や同胞の全員である。●3月1日の集会感話は「なぜ『一番大切な事』なのか」であるが、このパウロの言葉は「死に行く人類全体へのメッセージであそれは「罪が清められて復活の希望に生きよ」という「励ましの言葉」なのだ。●今朝はこれらのことを巡って黙想し、当日の配布資料の結論を変更しよう。
●感話の結論「『死の時』は神が決めて下さり、その瞬間を見守ってくださる」
●それまで神の力を信じて「忍耐」あるのみ。
●引用聖句。

塚本訳 マコ 13:30-33
13:30 アーメン、わたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。
13:31 天地は消え失せる。しかし(いま言った)わたしの言葉は消え失せない。
13:32 ただし、(人の子の来る)その日また時間は、父上のほかだれも知らない。天の使たちも、子(であるわたし自身)も知らない。
13:33 気をつけよ、油断するな。あなた達はその時がいつであるか、知らないのだから。

塚本訳 マタ 10:28-31
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

塚本訳 ルカ 21:16-19
21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる。
21:18 しかしあなた達の髪の毛一本も決して無くならない。
21:19 あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる

塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

塚本訳 ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

塚本訳 ヨハ 11:23-26
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

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●「死の時は神が決められ、その瞬間は見守っていてくださる。・・・これがわたしの信仰。今日から「余命」のことを口にするのはやめよう。それまで、神の力を信じて「忍耐忍耐」。

塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役TSK目をはたすためなら、
自分の命のことなど口にする値打もないと思う。


●TSK日本語版エゼキエル書28章
●5月31日感話「聖書の目的」を執筆
●京都の大学生から「聖書で聖書を読む」の誤植指摘。日本には「残りの者」が確実にいる。感謝。彼のために祈った。


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「死は眠り」。「また会う日まで」 ++++++++ 所感

2015/02/23 06:13

150223(月)3時半目覚め5時起床。キリスト者の皆様お早うございます。●昨夜9時ごろ三男の恵から電話。伴侶の父が8時半に亡くなったとのこと。施設から家(小牛田)に帰っていて、家族に枕元で讃美歌を歌われて「凱旋」したという。私の知る理想的な最期。本人はにキリスト信者、その夫人も、娘も、孫もそばにいたという。●数か月前に癌で「余命いくばくもない」と宣告されて以来、わたしは「死は眠りだ」と励まし続けてきたがついにその時が来た。●死。それも肉親の死はことのほか悲しみは大きいものだ。しかしキリスト信者にとって肉親の死は信仰の「勝負どころ」である。●今朝は死の悲しみに対して神の子イエスの慰めと励ましの言動を新約聖書に読んでみよう。

塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

塚本訳 ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。

塚本訳 ヨハ 11:23-26
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない
。このことが信じられるか。」

塚本訳 マタ 10:28-31
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。


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朝の啓示と黙想おわり。6時。

●哲学者ハイデッガーの言葉。「死は誰にでも訪れるものであるが。ほとんどの人がそれは自分には遠い先のことだと思っている」
●ラテン語の諺「メメントモリ」(死を思え)
●今や死因の5割は「癌」。だから生きているうちから自らの死と行く先のことを念頭に置かなければならない。
●そのために「一番大切な事」は十字架と復活の信仰に生きることだ。次回3月1日の集会感話は「なぜ『一番大切な事」なのか」である。結論の内容を少し変えなくてはならない。しかし依然としてパウロが「一番大切な事」ということは変わらず、ますますその意味が深まってきた。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●「罪を清められて復活する」この希望に生きることが人生で「一番大切な事」なのだ。」。
●お父さん万歳。「凱旋だ」。「また会う日まで」「復活の日まで」
●TSK日本語版エゼキエル書27章
●KSさんの税務調べ。日本の税制は一般庶民は優遇されている。KSさんと電話懇談
●故KBさん夫人のKKさんにお悔やみの電話。故人の意志で葬儀は家族葬。子供と孫だけ。
私もそうしたい。
●夫人、子供、孫に囲まれ、讃美歌と聖書で平安のうちに召されたという。万歳。













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神は不公平ではないのか ++++++++ 所感

2015/02/22 04:33

150222(日)2時半目覚め、3時起床。睡眠が短くて健康にさしさわりがないかと心配するが、眠りは長さでなく深さだと言われているから、マーいいかと思う。パウロの次の言葉を思う。

塚本訳 使 20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

口語訳 使 20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。


●この世の気の毒な人、また信仰が分からない人、福音が分からない人、復活が信じられない人のことを思うと、神は不公平なのではないかと思ったりする。これはパウロの悩みでもあった。パウロは自問自答している。●そこで今朝はそのことを巡って黙想してみよう。

塚本訳 ロマ 9:14-18
9:14 するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。
9:15 その証拠には、神は(かつて)モーセにこう言われている、『わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす』と。
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。
9:17 (反対に、憐れみを奪われる場合も同じである。)現に聖書は、パロ[エジプト王]にこう(神が仰せられたと)言っているではないか、』わたしがあなたを(王として)立てたのは、(あなたの心を頑固にして私の命令にそむかせ、)あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった』と。
9:18 従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を、』頑固にされる』(ことは明らかである。)

塚本訳 ロマ 9:19-24
9:19 するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。
9:20 ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。『作られたものが作った者に向かって、「なぜ『わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか。』
9:21 それとも、『陶器師には、』同じ『粘土』の塊で、一つは尊い用途の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23 またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)

9:24 神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。

●この人生の最大の問題をイエスに聞いてみよう。

塚本訳 ルカ 15:1-6
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。

塚本訳 マタ 10:28-31
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

塚本訳 ルカ 15:25-32
15:25 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、
15:26 ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。
15:27 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


塚本訳 ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。

塚本訳 マタ 5:3-5
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。

塚本訳 ルカ 6:20-23
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。


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朝の黙想おわり。4時半。新約聖書によれば、人生の幸不幸は現世と来世を通してプラスマイナスゼロである。父なる神は人のこの世での不孝をことごとくご存知で、それを利用して霊の目を開ける。
●この世の不幸は来世への準備。喜べ、今泣く人よ。

●ドバイの超高層マンションで火災。上層階に燃え広がってものすごい炎であった。心配。建築士として高層ビルの火災に考えさせられる。日本のビルは防火区画が細かいので、ああいう燃え方はしない。しかし火災の時はエレベーターが停止するので避難が大変だ。

●妻と東京聖書読者会へ。
●10:00 集会は川上(司会)、土肥(「幸いなるかな神に寄りすがる貧しきもの」)、横田(十字軍)
●土肥さんの発表は「聖書で聖書を読む」方法の理想的なものであったので感謝の言葉を述べた。
●村上さん、横田さんと信濃町の駅まで。聖書論。
●妻は「ロ短調ミサ曲」の練習
●私は音楽の友人、和田睦夫氏の出演するコンサートへ。

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14:00
 杉並公会堂。合奏団ZERO定期演奏会。ヴィオラの和田睦夫氏出演
ベートーヴェン交響曲第2番、マーラー交響曲第4番
マーラーの第4楽章ではソプラノ(松尾香世子)が下手のドアから静かに出てきて、天国の歌を歌う。
人生困難に遭遇したときに、「どこからともなく」静かに復活のキリストが現れるのと似ていて「ぞっと」して感動した。マーラーはそれを念頭に入れたのではないだろうか。

●帰宅してからTSK日本語版エゼキエル書26章

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「不可能」と思う時のかすかな粘り強い祈り ++++++++ 所感

2015/02/21 06:14

150221(土)3時半目覚め、4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます。今朝の黙示は「『不可能』と思う時のかすかな粘り強い祈り」です。●イエスが側近に語った「祈りの姿勢」はこのことに尽きます。●イエスがこう語った背景には人生の様々な困難」というものがあります。その時イエスは人を「祈り」に向けます。思想に向けません。祈りは悩み事を救うう「打ち出の小槌」だからです。●今朝はこのことに関して「福音書」から励まされる言葉を思いつくままン並べてみよう。このことに関してはパウロ書簡よりも福音書の方が圧倒的に力がある。イエスの言葉は神の子の言葉だからだ。●「感じたこと」を書くと励ましの「説教調」になるからやめる。「聖書で聖書を読む」ことにする。人間の言葉でなく神の子の原酒の言葉を読む。●聖句の検索と表示は「Jバイブル」を利用。超便利。これがなくては生きてゆけない。

塚本訳 ヨハ 11:15
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」

塚本訳 ヨハ 11:21-26
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

塚本訳 ヨハ 12:30
12:30 イエスは答えて言われた、「あの声がきこえてきたのは、わたしのためではない。あなた達のため(あなた達の信仰を強くするため)である。

塚本訳 マタ 4:3-4
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

塚本訳 ルカ 21:1-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」

塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう

塚本訳 マタ 6:20
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない
天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)


塚本訳 ルカ 12:33
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい


塚本訳 マタ 10:28-29
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。

塚本訳 マタ 6:25-27
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか

塚本訳 マコ 6:48-50
6:48 そして向い風のために弟子たちが漕ぎなやんでいるのを見ると、第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ)、湖の上を歩いて彼らの所に来て、(舟のわきを)通りすぎようとされた。
6:49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。

塚本訳 ヨハ 5:5-9
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

塚本訳 マコ 5:24-34
5:24 イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである

5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30 イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 マタ 8:6-10
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

塚本訳 マタ 17:19-20
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう

塚本訳 マコ 9:21-25
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」

塚本訳 ルカ 18:1-7
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

塚本訳 マコ 2:3-12
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」
2:6 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」
2:8 イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」

2:12 すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。

塚本訳 マコ 10:28-31
10:28 ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と
子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。

12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 マタ 19:3-5
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。

塚本訳 マコ 3:20-26
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。
3:22 またエルサレムから下ってきた聖書学者たちは、「あれはベルゼブル[悪魔]につかれている」とか、「悪鬼どもの頭[悪魔]を使って悪鬼を追い出している」とか言った。
3:23 イエスは彼らを呼びよせ、譬をもって話された、「悪魔にどうして悪魔が追い出せるか。
3:24 もし国が内輪で割れれば、その国は立ってゆけない。
3:25 また、もし家が内輪で割れれば、その家は立ってゆけない。
3:26 (同じように)悪魔(の国)が内輪もめで割れれば、立ってゆけず、ほろびてしまう。(だからわたしが悪鬼どもの頭を使うわけはないではないか。)

塚本訳 マタ 18:10-14
18:10 この小さな者を一人でも軽んじることのないように注意せよ。わたしは言う、(わたしの父上は片時も彼らをお忘れにならない。)あの者たちの(守り)天使は、天でいつもわたしの天の父上にお目にかかっているのだから
18:11 〔無し〕
18:12 あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
18:13 そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。
18:14 このように、この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない

塚本訳 ルカ 15:2-7
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳 ルカ 19:2-10
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

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朝の黙想おわり。人生の困りごとはことごとく神がご存知だ。経済、病気、犯罪、家庭内不和、身内の救い、死の恐怖・・・・・

●TSK日本語版エゼキエル書24-25章
●図書館、百円ショップ。徒歩往復2時間
●2月「もうすぐ春」、3月「春が来る」、4月「春が来た」、5月「春爛漫」。これ終末と復活の期待と同じ。
●冬来たりなば春遠からじ。23年前に召された父の愛した言葉。

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肉の関係を断って霊の関係に生きる ++++++++ 所感

2015/02/20 06:31

150220(金)4時半目覚め5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝は「肉の関係を断って霊の関係に生きる」ということを黙想します。●キリスト信者は信仰が深まれば深まるほどこの世との関係が疎遠になり、争い事が増します。その悩み悲しみは新約聖書の中で預言されているので、慰めです。キリスト信者がこの世と疎遠になるのは「宿命」です。しかし「この世から離れて逆にこの世に生きる」ことが実は正しい生き方であることを知ります。「この世に執着しないでこの世に生きる」。これが真にこの世に貢献することになるのです。●kのことに関する聖書の句を思いつくままに並べてみよう。これはキリスト者の「涙の谷」です。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 マコ 3:20-22
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。
3:22 またエルサレムから下ってきた聖書学者たちは、「あれはベルゼブル[悪魔]につかれている」とか、「悪鬼どもの頭[悪魔]を使って悪鬼を追い出している」とか言った。

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

塚本訳 マタ 10:34-37
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37
わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

塚本訳 マタ 10:19-22
10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。
10:20 言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
10:21
また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

塚本訳 ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、
「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」

塚本訳 ヨハ 20:16-17
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

塚本訳 ヨハ 7:3-6
7:3 イエスの兄弟たちが言った、「ここから移ってユダヤに行き、(今ここで)している業を(そこの)弟子たちにも見せたらどうです。
7:4 世に認められようとする者が、隠れた所で事をする法はあるまい。こんな(えらい)ことをしているのだから、(都に行って、)自分を世間に現わしたらどうです。」

7:5 兄弟たちも彼を信じなかったからである。(彼らはイエスの国がこの世のものでないことを知らなかった。)
7:6 イエスは兄弟たちに言われる、「わたしの(世にあらわれる)時はまだ来ていない。あなた達の時はいつでも準備ができている。(いつでもしたいことができるのだから。)

塚本訳 マタ 13:55-57
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」
13:58 彼らの不信仰のゆえに、そこではあまり奇蹟を行われなかった。(出来なかったのである。)

塚本訳 マタ 13:58
塚本訳 マタ 16:22-23
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた
、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

塚本訳 マタ 20:20-23
20:20 その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。


塚本訳 マタ 20:25-27
20:25 するとイエスは彼らを呼びよせて言われた、「あなた達が知っているように、世間では主権者が人民を支配し、また(いわゆる)えらい人が権力をふるうのである。
20:26 あなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ。

20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ。

塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

塚本訳 ルカ 16:12-13
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 ロマ 9:1-5
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである
。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。

塚本訳 ガラ 3:2-3
3:2 わたしはあなた達からこのことだけを聞かせてもらいたい、あなた達が御霊をいただいたのは、律法を行なうことによってか、それとも、信仰(の福音)を聞いて信じたことによってか。
3:3 あなた達はこんなに物がわからないのか。(信仰、すなわち)霊で始めたのに、今、(律法の行い、すなわち)肉で完成しようとするのか。

塚本訳 Ⅰコリ6:9-10
6:9 それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、
6:10 泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない

塚本訳 Ⅰコリ15:50
15:50 兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。血肉の人間は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相続することはない。


塚本訳 ガラ 5:20-21
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、我利、仲違い、党派心、
5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう。

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朝の黙想おわり。6時半。キリスト者はこの世に死んでこの世に生きる。これが」キリスト者の正しい生き方だ。世界を変えたのは「信仰第一」のプロテスタントだ。なぜか。この世を捨てたので神が働いたからである。逆説。

●TSK日本語版エゼキエル書22-23章。
●妻は自彊術の体操

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昨日の写真。暖かい日。ヨハンシュトラウス「春の声」。「早春賦」を思う。

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夕方散歩 讃美歌535番を独唱。

讃美歌535

今日をも送りぬ 主に仕えて
世のひかげうつれども
あまついのち 日に日に
ちかくぞ ある

今日をも送りぬ 主につかえて
みめぐみを世につたえ
御名のさかえ かたるは
たのしきかな

いかに幸なるわがつとめや
なやみにも のぞみあり
主よ みむねにかなわば
あすもつくさん

●家に到着して妻を表に呼び、
西の空に金星とすい星が重なって大きく見えるのを観察した。
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神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない ++++++++ 所感

2015/02/19 06:21

150219(木)キリスト者の皆様お早うございます。●昨日はKSさんの家に呼ばれて、重要な相談事をした、集まる者はカトリック2名、無教会4名。席上カトリックの方から、「このような小さな集まりはカトリックにはないが、無教会には組織というものがないのですか」と、教会論の本質を衝く大切なご質問を受けた。それで私は次のように答えた。新約聖書のキリストの言葉も周囲からの質問が契機なっている場合が多い。刺激されての答えである。信者は人に会うと信仰が向上する。無理をしてでも教会(集会)に出席すると「来てよかった」と思うというのがカトリック、プロテスタント共通の認識であった。一般に信仰の認識は「問答」で向上(アウフヘーベン)させられる。

文語訳 マタ 18:20
18:20 二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり

塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」


●また過日図書館で「はじめて読む聖書」(田川建三ほか、新潮新書)を借りて読んだ。企画方針だからだから仕方がないが、一貫して聖書の文字面(づら)にばかり拘泥していて信仰の本質に到達してない。そこで次の聖句が浮かんだ。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない


●この二点から今朝は「神は霊である」という認識について関連する聖句を思いつくままに掲げてみよう●生まれつきの人にはこの「霊」の認識がない。あるとすれば「幽霊の霊」「亡霊の霊」「霊媒者の霊」「霊園」ぐらいである。これではキリスト教は根付かない。またキリスト教でも人が集まる場合、「勉強」「思想」「趣味」「社会批判」「先生」などが共通の認識であって、そこには「わたしの名によって」という「キリストの霊」が中心にない。だからイマドキのキリスト教会(集会)は、趣味教養の思想団体に退化して余命少ない老人たちの「医院待合室」のようで「おしゃべり」が楽しみになっている。そこには「礼拝」の雰囲気がない。勉強や思想研究は「礼拝」ではない。●何千人もの礼拝出席者がある外国のメガチャーチでも、「二人三人」の小規模単位が中心になっているということを聞いたことがある。●そうするとキリストやパウロの望んだ真の教会とは「キリストの名によって」集まる霊の小集団ではないだろうか。

塚本訳 ヨハ 4:20-21
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい
。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳 ヨハ 4:23
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)
本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。

塚本訳 ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

塚本訳 ヨハ 17:3
17:3
永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。


塚本訳 Ⅰヨハ5:20
5:20 しかしわたし達は知っている、神の子が来て、(唯一の)まことの者(なる神)を知る知識力をわたし達に与えられたことを。そしてわたし達はこのまことの者の中に、(然り、)御子イエス・キリストの中に、あるのである。この方はまことの神であり、また永遠の命である。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

塚本訳 ルカ 12:31-32
12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。

塚本訳 Ⅰコリ15:50
15:50 兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。血肉の人間は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相続することはない。

塚本訳 Ⅰコリ6:9-10
6:9 それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、
6:10 泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない。

塚本訳 Ⅱコリ6:15-17
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』

塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。

塚本訳 Ⅱコリ3:16-17
3:16 『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。
主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

塚本訳 ヨハ 8:36-37
8:36 だから、
もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)
8:37 あなた達がアブラハムの子孫であることをわたしは知っている。ところがあなた達は(わたしを信ずるには信じたが、)わたしを殺そうとしている。(それは当然だ。)わたしの言葉が、あなた達の(心の)中で根を張らないのだから。

●以下はTSKからヒントを得て、心に響くものをピックアップする。


塚本訳 ルカ 21:5-6
21:5 ある人たちが(イエスに)宮がりっぱな石と献納品とで飾られていることを話すと、言われた、
21:6 「
あなた達が(今)見ているこれらの物は、このまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまう日が来るであろう。」


塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。


塚本訳 エペ 2:18
2:18 というのは、(今)私達二つの者が、(イスラエル人も異教人も、)一つの霊で父(なる神)に近づくことが出来るのは彼によるのであるからである。


塚本訳 エペ 3:14
3:14 …この故に私(パウロ)は天上地上において凡て「父」と名のつくものの本源である父の御前に跪く──

口語訳 Ⅰサム16:7
16:7 しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。


口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です
。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。



口語訳 イザ 66:1
66:1 主はこう言われる、「天はわが位、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を/建てようとするのか。またどんな所がわが休み所となるのか」。


塚本訳 黙  21:3
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、


塚本訳 マタ 18:15
18:15 それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。


塚本訳 ルカ 17:3-4
17:3 (人を罪にいざなわぬように注意せよ。(また)もし兄弟が(あなたに対して)罪を犯したら、これを咎め、悔改めたら、赦してやりなさい。
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。」

塚本訳 ロマ 2:29
2:29 隠れた(心の中の)ユダヤ人こそ(まことのユダヤ人、)また(律法の)文字によらない、霊的な心の割礼こそ(まことの割礼であり、こんなユダヤ人が、)人間からでなく、神からの栄誉をうけるのである。


塚本訳 ロマ 7:6
7:6 しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。



塚本訳 Ⅱコリ3:6-7
3:6 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。
3:7 文字で石に彫られている(モーセ律法、すなわち)死をつげる役目でさえ栄光があったので、やがては無くなるものながら『モーセの顔の栄光』のゆえに、イスラエル[ヤコブ]の子孫はその顔を見つめることが出来なかったくらいである(という。そうである)なら、


塚本訳 ヤコ 2:12
2:12 (だから死んだ文字でなく、霊の)自由の律法をもって審かるべき者らしく語りまた行動せよ


塚本訳 マタ 22:29
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている


塚本訳 ルカ 16:31
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』


塚本訳 使  8:34-36
8:34 宦官がピリポに答えた、「お願いです、この預言者はだれのことを言っているのでしょうか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか。(教えてください。)」
8:35 そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。
8:36 そして道を進んでゆきながら、とある水辺に来ると、宦官が言う、「水がある!洗礼を受けてはいけないでしょうか。」


塚本訳 コロ 3:16
3:16 キリストの言をして豊かに君達の間に住ませよ。あらゆる知恵をもって互いに教えまた諭せ。感謝の心に溢れて、聖歌と讃美歌と霊の歌を神にうたえ。


塚本訳 Ⅱテモ3:15-17
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、

3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。


塚本訳 ヨハ 5:36
5:36 わたしには、ヨハネの証明よりも有力な証明がある。父上がわたしに成しとげさせようとして賜った仕事、すなわちわたしがしている仕事そのものが、わたしが父上に遣わされたことを証明してくれるからである


塚本訳 ルカ 24:44
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」


塚本訳 ヨハ 6:68-69
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。
6:69 あなたこそ神の聖者(救世主)であると、わたし達は信じております。また知っております。」


塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」


塚本訳 Ⅰヨハ5:12-13
5:12 (だから、)御子を持つ者は(永遠の)命を持ち、神の御子を持たない者は命を持たない。
5:13 このことをあなた達に書いたのは、あなた達は(イエスを)神の子として信じているので、すでに永遠の命があることを知らせるためである。


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朝の啓示と黙想おわり。人間にとって一番大切な事は「神の霊」との交わり。




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救われる人は少数だが確実にいる。神は失われている人の存在をご存知だ。 ++++++++ 所感

2015/02/18 06:29

150218(水)4時目覚め、5時起床●キリスト者の皆様お早うございます●今朝の啓示は「救われる人は少数だが確実にいる。神は失われている人の存在をご存知だ。」●キリスト者にさせられて、一番の悩みは「身内の救い」である。来世の実在を信ずるとしても、自分だけ天国に行って、身内が地獄の火に焼かれているのを見ると、天国も天国ではなくなる。

塚本訳 ルカ 13:23
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、

塚本訳 ルカ 16:28
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

塚本訳 マタ 22:28
22:28 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」

●救われない人の存在について、パウロは深刻な悩みであった。

塚本訳 ロマ 9:1-4
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである
。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。

●パウロは「救われる人は確実にいる」という信念であった。残りの者はは存在する。

塚本訳 ロマ 9:25-28
9:25 (異教人の中から憐れみの器が選ばれることは、不思議ではない。)神がホセア書でも言っておられるとおりである。『わたしはわたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されぬ者を愛される者と呼ぶであろう。』
9:26 『「あなた達は私の民でない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれるであろう。』
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。
9:28 なぜなら主は(間もなく約束の)御言葉を完了し打ち切って、(裁きと救いとを)地上に実現されるからである。』

塚本訳 使  13:45-49
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった。


●キリストは失われている者の方が気がかりである。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

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朝の黙想おわり。神は私以上に「身内の救い」を心配してくださっている。アーメン神様、身内の31人の救いを成就してください。

●9:00時出発。12:00に茅ヶ崎の金子幸子さんの家に呼ばれて、重要な御相談と御依頼。同席立会人、アンドレ氏(甥・アルゼンチンから来日)、茂木洋子(東京聖書読者会)、中島千津子(友人、カトリック茅ヶ崎教会)高橋トミ子(東京聖書読者会)。●準備が十分に整うと「死神」も逃げ出すと言われている●私が先に逝かないようにしなければならない●無教会者の相談事はあっという間に決まるから気持ちがよい。この世の会議とは違う。●カトリックの中島さんにカトリックの事情を伺う●甥のアンドレ氏にアルゼンチンのキリスト教事情を聞く。教会は若い人で溢れているそうだ。うらやましい。●今日は八王子から茅ヶ崎まで横浜線の旅をした。昔子供達を金子さんの家に連れて行った時のことを思い出した●帰宅18:30

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負わされる十字架に神の愛が現れる ++++++++ 所感

2015/02/17 06:32

150217(火)4時目覚め5時起床●キリスト者の皆様お早うございます●評論家の立花隆(登戸学寮に在籍していたが、一席ぶって退寮。ご両親は塚本先生の弟子)は「人は70歳を過ぎると急に死のことを考えるようになる」という。●大抵の人は残りの日々を「遊び暮らして」死ぬのが満足な人生だと思って享楽の限りを尽くす。そういう人生観に幸福はないと「幸福論」のヒルティは言う。ゲーテの最後は「もっと光を」と言ったが彼のような「暇な遊び人」(ディレッタント)の真似をしても文字通り「幸福」にはなれないと警告している●しからばキリスト者はどうか。キリスト者は信仰を頂いた時から「何を為すべきか」が人生の大問題である。普通のキリスト者はそこでキリストの冠の付く集団、組織、運動などに身を捧げて「カッコよくこの身で神の栄光を現そう」とするが大間違い。神に良しとされる道は「神に」十字架を負わされる道である。その十字架は病気、失敗、不幸、不運、などでこの世的には「気の毒な」人生である。しかしそこに神の秘められた大事業があって、人はそれを通してこの世に「神の愛」を」発揮させられるのである。●このことが分からないキリスト者がすぐ「人の思い」で職業を選択したり活動するから神に祝福されないのである。その道がうまくいかないのである。しばらくしているうちに枯れる。●キリストの冠をつけた活動をしているキリスト者が私を「敵視」して、私に悪い目つきをするのはその奥に「罪悪感」を持っているからである。「こういうことをやっていると高橋さんに叱られる」と言った人がいる。その通りだあなたは「信仰が薄い」のだ。「人間の顔を立てて、神の顔を立てようとしないのだ」●神に喜ばれる道は、「いやいやながら十字架を負わされる道である。平凡な職業である。三流の企業である。平凡な病気である。平凡な「家庭内のゴタゴタ」である。それは目立たない、否恥ずべき道である。人には言えない恥の人生であるが、そこに神の愛が発揮される。●今朝はこのことを巡って「主イエスの思想」に」肉迫してみよう。思いついたまま、順不同。ラジオ体操の6時半になったらやめる。検索と表示は『Jバイブル』を利用。これ超便利


塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 ヨハ 17:1-4
17:1 イエスはこれらのことを話されると、目を天に向けて(祈って)言われた、「お父様、いよいよ時が来ました。子があなたの栄光をあらわすために、どうか(子を十字架につけて、)子に栄光を与えてください。
17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権を子に与えられたのですから。
17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。
17:4 わたしは、わたしにさせようとして賜わりました仕事を成しとげて、地上にあなたの栄光をあらわしました。

塚本訳 ヨハ 15:12-13
15:12 わたしがあなた達を愛したように、互に愛せよ。──これがわたしの掟である。
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ


塚本訳 マタ 26:39-42
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。

塚本訳 マタ 10:37-39
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

塚本訳 マタ 16:24-25
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから

塚本訳 マタ 27:32
27:32 (都を)出ると、シモンと言うクレネ人に出くわしたので、兵卒らはこの人に有無を言わせずイエスの十字架を負わせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)

塚本訳 マタ 27:41-44
27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!
27:43 『彼は神にたよっている。神が可愛がっておられるなら、』今すぐ『救ってくださろう』だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」
27:44 一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った

塚本訳 マタ 6:25
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)

塚本訳 マタ 10:19
10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。

塚本訳 ルカ 16:9-10
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である


塚本訳 使  22:6-10
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』
22:9 連れの者たちは光は見えたが、わたしにお話になる方の声は聞こえなかった。
22:10 わたしは言った、『主よ、何をしたらよいのでしょうか。』主は言われた、『起きてダマスコ(の町)まで行け。そうすればそこで一切は告げられる。君のすることは決めてある。』

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朝の啓示と黙想。何を為すすべきかは神が決める。人にはわからない。神が負わせる無理な「いやな十字架」に神の秘めたご計画がある。

●TSK日本語版エゼキエル書20章
●図書館に行くも休館日。イイヤイイヤ運動になった。
●東北地方に地震と津波。親戚がいるので案ずる。


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福音をはねつける人々に対する態度 ++++++++ 所感

2015/02/16 05:15

150216(月)3時目覚め、5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●昨日は集会で「田川建三論」の発表があった。田川氏は「神を信じないクリスチャン」と自称して、信仰の初心者を惑わしている。「クリスチャン」の定義が泣いている。田川氏は「無教会の存在が無かったら今の自分はなかった」と言っているので無教会にも責任の一端がある。田川氏の聖書の正文批評学に対する姿勢に無教会は応援団であるが、「信仰の中身」はいただけない。●集会後、発表者に、「田川の本を面白がって読む人間の信仰は三流だ」とコキオロシタので、その責任上、今朝は「一流の信仰とは何か」「福音をはねつける人に対する態度はどうあるべきか」について黙想したい。●無教会は彼のような「クリスチャン」(?)も許容するだけの懐の深さがある。●また素人の私が「聖書で飯を食っている田川氏のような人間」の信仰をコキオロスのには意義がある。これ無教会の栄光だ。●田川は前田護郎に嫌われて日本を飛び出したが、関根正雄に対してだけは毒舌を吐かない。彼の信仰が「学問」を目指しているからだ。しかし学問から信仰には渡れない。関根先生は学問と信仰のバランスとれているが、田川氏は「学問」だけだから釈義がなく、私のような素人には満足しない。

●一流の信仰についてはイエスがしばしば「あゝ信仰の小さい人よ」と嘆いたところに注目すれば見えてくる。

塚本訳 マタ 6:30
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!

塚本訳 マタ 8:26
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。

塚本訳 マタ 14:31
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

塚本訳 マコ 9:23-24
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

塚本訳 マタ 17:19-20
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

●イエスが誉めた「一流の信仰」

塚本訳 マタ 8:8-10
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

塚本訳 マタ 16:15-17
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


●福音を受け入れない人に対するイエスの態度。放っておけばそのうち枯れる。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

塚本訳 ヨハ 5:35-40
5:35 ヨハネは(光ではないが、まことの光に導く)燃えて輝く明りであった。しかしあなた達は(彼の言葉に従おうとせずに、)しばし彼の光にうち興じただけであった。
5:36 わたしには、ヨハネの証明よりも有力な証明がある。父上がわたしに成しとげさせようとして賜った仕事、すなわちわたしがしている仕事そのものが、わたしが父上に遣わされたことを証明してくれるからである。
5:37 その上、わたしを遣わされた父上御自身が、わたしのことを(聖書で)証明してくれるからである。(ところがあんなにはっきり書いてあるのに、)あなた達はいまだかって父上の声を聞いたことも、姿を見たこともなく、
5:38 また御言葉があなた達の心に留まっていない。父上の遣わされた者を信じないのがその証拠だ。
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

塚本訳 ヨハ 6:44-45
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。

塚本訳 ヨハ 6:44-45
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。


塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

塚本訳 ルカ 16:30-31
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●福音をはねつける人に対するパウロの態度

塚本訳 使  13:26-32
13:26 兄弟の方々──アブラハムの子孫の方々と、あなた達の中の敬神家の方々よ
、(神から)わたし達に、この(イエスの)救いを知らせる『言葉は送られたのです。』
13:27 なぜなら、エルサレムに住んでいる人と彼らの(最高法院の)役人たちとは、この方がわからず、安息日のたびごとに朗読される預言者たちの言葉もわからずに、判決を下してそれを成就し、
13:28
死罪にあたるなんの罪も認められないにもかかわらず、ピラトに願って彼を死刑にしてしまったのだから。
13:29 そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろして墓に納めた。
13:30 しかし神は彼を死人の中から復活させられ、

13:31 彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。
13:32 わたし達も、先祖に与えられたこの約束の福音を、(こうして)あなた達に伝えているのです。


塚本訳 使  13:44-48
13:44 その次の安息日には、ほとんど町中が神の言葉を聞きに集まってきた
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この
十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、
わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)


塚本訳 Ⅱテサ3:6
3:6 兄弟達よ
、主イエス・キリストの名において命令する。ふしだらな生活をし、私達から受けた言い伝えに拠って歩かぬ兄弟とは誰とも交際を避けよ。

塚本訳 Ⅰコリ7:14-16
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。
妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

塚本訳 Ⅱコリ6:14-17
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』

●不信者には寛容であれ

塚本訳 マコ 9:38-40
9:38 ヨハネがイエスに言った、「先生、わたし達の仲間でない者が、あなたの名を使って悪鬼を追い出しているのを見たので、止めるように言いました。仲間にならないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
9:39 イエスは言われた、「止めさせるに及ばない。わたしの名を使って奇蹟を行ったすぐそのあとで、わたしの悪口の言える者はないのだから。
9:40 反対しない者はわたし達の味方である

塚本訳 ロマ 9:22-23
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23 またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。
(かれこれ言うことはないではないか。)


塚本訳 ロマ 14:1
14:1 信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに

塚本訳 Ⅱペテ3:8-9
3:8 愛する者よ、『主の前では』一日が千年の如く、『千年』が一『日の如く』である、この一つの事を忘れるな。
3:9
主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。

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朝の黙想おわり。6時半。不信者はいつか必ず神が救う。自分の子供だから。●妻は池谷医院定期健診
●TSK日本語版エゼキエル書18-19章
●今日は暖かい日であった。



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奥座敷の祈り、祈りの奥殿 ++++++++ 所感

2015/02/15 05:30

150215(日)3時半目覚め。4時起床●キリスト者の皆様お早うございます。今朝の啓示は「奥座敷の祈り、祈りの奥殿」です。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


文語訳 マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。


口語訳 マタ 6:6
6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

●今の人間は「心が落ち着くところ」がないのであらぬ行動に出ます。ISIS(「イスラム国」改め)に世界中から集まる青年は自国に「心の落ち着き場所」がないからそこに集結して過激なテロ活動に参加している。問題は「心の空白」である。

ISIS = The Islamic State of Iraq and al-Sham/Syria, 「イラクとシャーム/シリアのイスラム国」

●コトはイマドキのそういう些末な問題ではない。もともと人間は神から離れているから「心に空白」があって、それを満たそうと思って各種の「依存症」になる。過激な行為行動に走るのである。しかし彼らもそのISISで心が落ち着くわけではないだろう。
●キリスト教も各教派や各信者が分裂してとどまるところを知らない。それは細胞分裂のようである。
●カトリック教会は「儀式」、プロテスタント教会は「人間の説教」、無教会は「聖書勉強」。いずれも一長一短があって、他を凌駕できない。
●無教会に関してだけ言えばコレという「先生」がいなくなった現在は「無教会難民」という言葉が囁かれ始めた。どこに「心が落ち着く」港があるのだろうか。
●これに関して聖書に聞いてみよう。頭に思い浮かぶまま、順不同。話せば長くなるので感話なし。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 ルカ 2:48-49
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」

塚本訳 ルカ 19:45-48
19:45 やがて(エルサレムに着いて)イエスは宮に入り、物を売る者を追い出し始めて、
19:46 こう言われた、「『わたしの家は祈りの家であらねばならぬ』と(聖書に)書いてあるのに、あなた達はそれを『強盗の巣』にしてしまった。」
19:47 イエスは毎日宮で教えておられた。大祭司連、聖書学者たち、それに国の名士たちも、イエスを殺そうと思ったが、
19:48 どう仕様もなかった。だれもかれも皆イエスの話に聞きとれていたからである。

塚本訳 ヨハ 2:13-22
2:13 ユダヤ人の過越の祭が近くなると、イエスは(弟子たちと)エルサレムに上られた。
2:14 宮の庭で牛や羊や鳩を売る者、また両替屋が坐っているのを見られると、
2:15 縄で鞭をつくって、何もかも、羊も牛も宮から追い出し、両替屋の銭をまき散らし、その台をひっくり返し、
2:16 また鳩を売る者に言われた、「それをここから持ってゆけ。わたしの父上の家を商店にするな。」
2:17 (これを見て)弟子たちは、〃(神よ、)あなたの家に対する熱心が、わたしを焼きつくします〃と(詩篇に)書いてあるのを思い出した。
2:18 するとユダヤ人が口を出した、「あなたはこんなことをするが、(その権威を証明するために、)どんな徴[奇蹟]をして見せることができるのか。」
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

塚本訳 ヨハ 4:19-26
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。
4:22 ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」

塚本訳 ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 マタ 12:42
12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。

塚本訳 ヨハ 5:34-35
5:34 わたしは人間(ヨハネ)から証明してもらう必要はない。わたしがヨハネのことを言うのは、ただあなた達が(彼の証明によりわたしを信じて)救われるためである。
5:35 ヨハネは(光ではないが、まことの光に導く)燃えて輝く明りであった。しかしあなた達は(彼の言葉に従おうとせずに、)しばし彼の光にうち興じただけであった


塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

塚本訳 ルカ 17:20-21
17:20 パリサイ人から神の国はいつ来るのかと尋ねられたとき、答えられた、「神の国は、(いつ来るのかと計算や)観測のできるようにしては来ない。
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」



塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」

塚本訳 ヤコ 5:14-16
5:14 君達の中に病んでいる者があるのか、その人は教会の長老を呼び、長老たちは主の名により油を塗って、その人のことを祈ったがよかろう。
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある

塚本訳 Ⅰコリ6:18-20
6:18 不品行から逃げよ。人のおかすどんな罪も、体の外にある。しかし不品行をする者は、自分の体、(キリストの体、神のお宮)に対して罪を犯すのである。
6:19 それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。
6:20 なぜというのか。あなた達は(キリストの血の)代価を払って買われたのである。だからあなた達の体をもって神を賛美せよ。

塚本訳 黙  21:1-4
21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。
21:2 また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のように身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た。
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

塚本訳 黙  21:22-27
21:22 都の中には宮を見なかった。全能者たる主なる神と仔羊とがその宮であるからである
21:23 また都はそれを照らすのに太陽をも月をも必要としない。神の栄光がそれを照らし、仔羊がその燈火であるからである。
21:24 諸国の民はその光の中を歩むであろう。また地の王達は彼らの(有つ凡ての)光栄をここに持って来る。
21:25 その門は一日中決して閉ざされないであろう、其処には夜が無いのである。
21:26 諸国の民はその光栄と栄誉とをここに持って来るであろう。
21:27 しかし凡ての穢れたもの、嫌悪むべきことと虚偽とをする者は、決してここに入れない。ただ仔羊の生命の書に(その名を)書かれている者だけがここに入るであろう。

塚本訳 使  6:11-15
6:11 そこで彼らは人々をそそのかして、「わたし達はステパノが、モーセと神とに冒涜の言葉を語るのを聞いた」と言わせた。
6:12 また民衆や、(最高法院の役人すなわち大祭司連、)長老、聖書学者たちを煽動して、彼を襲ってとらえ、最高法院に引いてゆかせた。
6:13 そして偽りの証人を立ててこう言わせた、「この人はこの神聖な場所[宮]と律法とをけがす言葉を語って、どうしてもやめない。
6:14 『あのナザレ人イエスはこの場所をこわし、モーセがわたし達に言い伝えた慣例を変えるだろう』と彼が言うのを、わたし達は(この耳で)聞いたのだから。

6:15 法院に坐っていた者が皆ステパノに目をとめた。彼の顔がちょうど天使の顔のように(輝いて)見えた。

塚本訳 使  7:46-50
7:46 ダビデは神の寵愛を受けたので、『ヤコブの神のために住いを造ることを』神に願ったが、
7:47 (実際に)『その家を建てたのは(子の)ソロモン(王)であった。
7:48 しかし(それは御心にそむいたことで、)いと高きお方は(偶像とちがい、人間の)手で造ったものの中にはお住みにならない。預言者(イザヤ)が言うとおりである。
7:49 『主は言われる、『天はわたしの御座、地はわたしの足台であるのに、どんな家をわたしに建ててくれるのか、どこがわたしの憩いの場所か。
7:50 これらは何もかもわたしの手で造ったもの』ではないのか。』

塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」


塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている


塚本訳 マタ 28:18-20
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。

塚本訳 Ⅱコリ4:16-18
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである



塚本訳 Ⅰペテ1:5-8
1:5 (そして)君達は最後の時に顕れる準備の(既に)出来ている救いに入るために、信仰によって神の力に護られる。
1:6 (もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。


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朝の啓示と黙想終わり。6時15分

●人間にとって真の安らぎは奥座敷にいます神のところにある。

●妻と集会へ。高橋トミ子(司会)、丹野(塚本「ヘブル書講義」)、村上(田川建三論)
●帰途、村上さんと一緒。田川の本を面白がっている人間の信仰は三流だと感想を述べた。信仰の議論は何も良いものを生まないが、ダメなものはダメと言い合うのはその信仰集団が生きている証拠。ダメな信仰は神が枯らせる。
●相手の信仰を尊重して何も言わないのを美徳とするのは「自己保身術」。不信仰人間には「一喝」すべきである。なぜかというと信仰は説教では生まれないからである。
●人が信仰に入るのは99%でなく100%神の力。恩恵の力。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


塚本訳 マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

塚本訳 使  13:26-32
13:26 兄弟の方々──アブラハムの子孫の方々と、あなた達の中の敬神家の方々よ、(神から)わたし達に、この(イエスの)救いを知らせる『言葉は送られたのです。』
13:27 なぜなら、エルサレムに住んでいる人と彼らの(最高法院の)役人たちとは、この方がわからず、安息日のたびごとに朗読される預言者たちの言葉もわからずに、判決を下してそれを成就し、
13:28
死罪にあたるなんの罪も認められないにもかかわらず、ピラトに願って彼を死刑にしてしまったのだから。
13:29 そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろして墓に納めた。
13:30 しかし神は彼を死人の中から復活させられ、
13:31 彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。
13:32 わたし達も、先祖に与えられたこの約束の福音を、(こうして)あなた達に伝えているのです。


塚本訳 使  13:45-48
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

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明星フィルハーモニー管弦楽団演奏会(国分寺、明星学苑講堂)
ヴェートーヴェン「アテネの廃墟」、ドヴォルザーク「チェコ組曲」、ビゼー「交響曲第一番」。
聴衆が少なくて気の毒であった。
前回聴いて素晴らしく上手であったクラリネットは大竹さんという名前で卒業して退団したという。
人は去る。人は変わる。

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あきる野に到着。冬の強風。今夜は寒くなりそうだ。
夕食の祈り。「信仰を続けられるのは何でもないことのようですが、全く神の恩恵によるものだと感じて感謝です。」

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主の有体的再臨の約束としての昇天 ++++++++ 所感

2015/02/14 06:17

150214(土)3時半目覚め4時起床●キリスト者の皆様お早うございます●今朝の啓示は「主の有体的再臨の約束としての昇天」●2000年に脳内出血で倒れて以後、集会では10年以上イエス伝の感話を続けてきた。ガイドは「四福音書対観表・・ギリシャ語ー日本語版」(日本語版監修荒井献・川島貞雄、日本基督教団出版局2000年)のイエス伝を367に分割したものに従ってきた。この本のオリジナルは「Greek-English Synopsis」で英米独合作のいわば世界標準である。世界遺産である。●これの英語(RSV)の部分を日本の新共同訳に置き換えて出版したものである。日本の水準も高くなったものだ。●島流しに遭ったら、この本と聖書一巻があれば十分だと思う。●その第365番目が「昇天」であって5月3日に集会で感話する。テキストは次のとおりである。

塚本訳 ルカ 24:50-53
24:50 それから、彼らを(オリブ山の頂上の)ベタニヤ道のところまでつれてゆき、手を挙げて祝福された。
24:51 そして祝福しながら、(天へと)はなれてゆかれた
24:52 彼らは大喜びでエルサレムに帰り、
24:53 いつも宮にいて、神をほめたたえていた。

塚本訳 マコ 16:19-20
16:19 主は(このように)彼らに語った後、『天にあげられて』『神の右にお座りになり、』
16:20 弟子たちは出ていって到る所で教えを説いた。すると主は彼らと共に働いて、(その伝道に)いろいろな(不思議な)徴をともなわせ、(彼らが説く御言葉(の正しいこと)を保証された。】 別 の 附 録【しかし女たちは(今)命じられたことの一切を、手短かにペテロたちに告げた。そのあとで、イエス自身も彼らをもって、東から西まで、永遠の救いの、聖なる朽ちざるおとずれを、おくられた。】


●歴史を「精密」かつ順序正しく記したというルカがこの昇天の記事を取り入れているのは心強く嬉しい。霊感がわいてその本質が示される。

塚本訳 ルカ 1:1-4
1:1 わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)
1:2 最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、
1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります


●この有体的昇天の記事は「主の有体的再臨」の約束の前提の目に見える姿であった。
●だからこの昇天の記事を信じなければキリスト教の最も大切な「有体的再臨」の信仰(使徒信条)に繋がらない。
●有体的再臨の信仰が強くなるといつの時代でも、「時の支配者」から迫害される。我が国においても戦時中の紋切型の質問は「キリストが再臨したら天皇陛下とどちらが偉いか」というものであった。敵は良くこちらの急所を見抜くものだ。
●為政者としてはこういう輩がいると治めにくいだろうなーと思う。戦時中に無教会の浅見仙作は治安維持法で捕まった時にもこの質問で責められた。そこを塚本先生は賢く行動して裁判長の三宅正太郎に政治と宗教の世界の違いを説明して無罪を勝ち取った。藤林先生が活躍された。     ●我が国のキリスト教が弱いのは「有体的復活」と「有体的再臨」の信仰が希薄だからであると塚本先生は言われる。至言。その結果の姿が、キリスト者と自称する人間のヒューマニズムや社会改革運動、また仏教思想との混合という「信仰の堕落」である。これは教会も無教会も等しく陥っている我が国キリスト教の「病気」である。「人数の増大」「教勢の拡大」「集会の維持」が信仰の熱心な姿であると誤解している。名前は言わない。人間パウロにその兆しがあるから困る。
●では本論。「昇天」をどうとらえるか。こういう難問にぶつかるとき、すぐ人間の「解説」に走るのは意味がない〕。それは薄めた牛乳である。栄養価が低い。原酒である聖書自身、しかもイエスの言葉自身に聞かなければならない。「主の有体的再臨」の約束の歴史的言葉を見て見よう。イエスも「追い詰められた時」に再臨を口走った。これは現代の我々も同じである。得体の知れない不条理の苦しみに遭うと人は「再臨を待望」する。口走る。いいんだ、いいんだ、それがキリスト者のともな姿だ。●故植木静江さんは結核になって離縁され、一人息子の信太郎君を育てられなくなって無理心中を決意。その時に「狂えるごとく」に終末・再臨を祈った。人生が「追い詰められた」からである。●すると、塚本先生は講壇から「だれか信太郎くんを引きとってくれる人はいないか」と叫んだところ、村松家が引き受け、信太郎君は名前を村松梅太郎に変えて成長。長じて農工大で博士号を取得し、栃木県庁に勤務。実母の静枝さんが亡くなられた時の記念会(於・春風学寮)で、梅太郎氏が「母はもう母ではないことを自覚していながら、私に対して最後まで『母』であり続けようとしていた」と」挨拶した。皆が泣いた。村松梅太郎氏はその後所属していた栃木県の「竹内正一」集会(無教会)主宰者の竹内氏が召されると、勇躍その後を継がれた。天の静枝さんの祈りは聴かれた。私は彼と信仰の友である。●「有体的再臨」の信仰は静江さんのような人に分かるものだ。

塚本訳 ルカ 21:20-28
21:20 しかしエルサレムが(ローマの)軍勢に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたと知れ。
21:21 その時ユダヤの平地におる者は(急いで)山に逃げよ。都の中におる者は立ち退け。田舎におる者は都に入るな。
21:22 これは(聖書に)書いてあることが皆成就する『(神の)刑罰の日』だからである。
21:23 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!この(ユダヤの)地には大きな艱難が、この民には(神の)怒りが臨むのだから。
21:24 彼らは劔の刃にたおれ、あるいは捕虜となってあらゆる国々に散らされ、また『エルサレムは』(いわゆる)異教人時代が終るまで、『異教人に踏みにじられる』であろう。
21:25 すると日と月と星とに(世の終りの不思議な)前兆があらわれ、地上では『海がどよめき荒れ狂うため、国々の民は』周章てふためき怖じまどい、
21:26 全世界に臨もうとしていることを思って、恐ろしさのあまり悶え死にする者があろう。『もろもろの天体が』震われるからである。
21:27 するとその時、人々は『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『雲に乗って来るのを』見るであろう。
21:28 それでこれらのことがおこり始めたら、体を伸ばし、頭をあげなさい。あなた達のあがない(の時)が近づいたのだから。」

塚本訳 マタ 24:37-44
24:37 人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
24:38 すなわち洪水の前のあのころ、『ノアが箱船に入った』日まで、人々は飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていて、
24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。
24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。
24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。
24:42 だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は主がいつの日来られるか、知らないのだから。
24:43 あなた達はこのことを知っているはずだ。──夜の何時に泥坊が来るとわかっておれば、家の主人は目を覚ましていて、みすみす家に忍び込ませはしないであろう。
24:44 だから、あなた達も用意していなさい。人の子(わたし)は思いがけない時に来るのだから。

塚本訳 マタ 26:62-68
26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」
26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。
26:66 (この者の処分について)お考えを承りたい。」「死罪を相当とする」と彼らが答えた。
26:67 それから(法院の役人のある者は)イエスの顔に唾をかけ、拳でうち、ある者は(目隠しをして)棒でたたきながら、
26:68 「おい救世主、だれがぶったか、当ててみろ」と言った。


塚本訳 ルカ 22:66-71
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。
22:69 しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」
22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」
22:71 すると彼らが言った、「これ以上、なんで証言の必要があろう。われわれが(直接)本人の口から聞いたのだから。」

塚本訳 ルカ 21:9-19
21:9 戦争や暴動と聞いた時に、びっくりするな。それらのことはまず』おこらねばならないことである』が、しかし(まだ)すぐ最後ではないのだから。」
21:10 それから言われた、「(世の終りが来る前に、)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』
21:11 また大地震や、ここかしこに疫病や飢饉があり、いろいろな恐ろしいこと、また天に驚くべき前兆があらわれるであろう。
21:12 しかしすべてこれらのことがある前に、人々はあなた達に手をかけて迫害する。すなわち礼拝堂や牢屋に引き渡し、またわたしゆえに、王や総督の前に引き出すであろう。
21:13 これは結局あなた達が(福音を)証しする結果となるのである。
21:14 だから(前もって)弁明の準備をしておかないことに、心を決めなさい。
21:15 いかなる反対者も、反抗し弁駁することの出来ない言葉の知恵を、わたしが授けるから。
21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる。
21:18 しかしあなた達の髪の毛一本も決して無くならない。
21:19 あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる。

塚本訳 マタ 10:16-25
10:16 いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。
10:17 人々に気をゆるすな。あなた達を裁判所に引き渡し、礼拝堂で鞭打つからである。
10:18 また、あなた達はわたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に引き出されるであろう。これは、その人たちと異教人とに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。
10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。
10:20 言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。


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朝の黙想おわり。有体的再臨を信じ、待ち望む者には、『キリストの昇天』記事は要求である。アーメン。主よ来りませ。
●植木さんはギリシャ語を知らない。写本を知らない。月定献金を出せないから教会員にはなれない。しかし有体的再臨の希望があった。その希望は不運な人生を粘らせた。そして祈りは子供に成就した。伝わった。神います。キリストの有体的再臨の信仰は人生「追い詰められ」て初めて与えられる。
●するとイエス伝の最後は「キリストの昇天」の記事で終わっていなければならない。「キリストの昇天」記事は信仰のやむにやまれずの要求である。神は有体的再臨の見える形の証明として弟子達の前で「昇天」された。

塚本訳 Ⅰコリ16:21-22
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、
マラナ、サ(主よ、来てください)!

●TSK日本語版エゼキエル書16-17章
●宅急便、図書館。「始めて読む聖書」。
●妻からバレンタインチョコレートをもらう。明治の板チョコ。

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キリストの言葉の権威 ++++++++ 所感

2015/02/13 06:33

150213(金)3時半目覚め、5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の啓示は「キリストの言葉の権威」です
●聖書の一句は百千の人間の言葉(牧師の説教、伝道者の言葉、無教会雑誌、聖書学者の註解、各種信仰書、クリスチャンのアドバイス、親の注意)に勝って力があるものです。●中でもキリストの言動を記した福音書は力があります。私の手元にある新教出版社版「塚本虎二訳新約聖書」は福音書の部分が黒くなっています。開ける回数が多いからです。●私が職業の選択で悩んでいた時に、ルカ16:9-13は私の「建築人生を決定」したました。その深い意味は塚本虎二訳で明快であった。百千の人間の言葉以上にこの僅か5節は私に「権威」があった。ほかならぬ聖書に、それもキリストの言葉に「この世の生き方」の指針が込められていた。●信仰を持つとすぐ、今の仕事に意義を見いだせなくなって、キリストの冠の付く団体(修道院、教会、聖職者、伝道者、出版社、神学校、教団、協会、団体、運動、活動など)に身を捧げようとする。これは大間違いである。それはこの世の勢力の物理的増大が神の国の到来だと考える誤った人間のあさはかな思想である。神抜きの人間の思いである。


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●イマドキの若いキリスト者に告ぐ。私はこの5節のおかげで聖職者や伝道者の道やこの世の改革運動に飛び込むことをしなくて良かった。
●初めにキリストの言葉が人にいかに権威があったかを見てみよう。福音書にはキリストの「権威」に皆が「驚いた」「不思議な力を感じた」という様子が出てくる。
●今日の聖書学ではキリストの言葉はオリジナルではなく、旧約の受け売りではないかと疑われることもあるが、それを聞いた周囲の人間が一様に「権威」を感じたことだけは歴史的に疑いえないことだとされている。

●キリストの言葉の権威

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。

塚本訳 マタ 21:23
21:23 宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」

塚本訳 マタ 13:54
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。

塚本訳 ヨハ 7:14-16
7:14 祭がすでに半ばになったとき、(すなわち祭の四日目に、)イエスが宮に上って教えておられると、
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」
7:16 イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。

塚本訳 マコ 6:2
6:2 安息日になって礼拝堂で教え始められると、大勢の人がそれを聞いて、驚いて言った、「この人はこんなことをどこから覚えてきたのだろう。この人の授かったこの知恵はなんだろう。また、その手で行われるかずかずのこんな奇蹟はいったいどうしたのだろう

塚本訳 マタ 19:24-26
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」


●キリストの行為の権威

塚本訳 マタ 8:26-27
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。
8:27 人々は驚いて、「この方はどうした人だろう、風も湖も、その言うことを聞くのだが」と言った。

塚本訳 ルカ 8:25
8:25 彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。

塚本訳 マタ 9:33
9:33 悪鬼が追い出されると、唖が物を言うようになった。群衆が驚いて、「こんなことはかってイスラエル人の中で起ったためしがない」と言った。

塚本訳 マタ 15:31
15:31 群衆は唖が物を言い、片輪が直り、足なえが歩きまわり、盲人が目が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を讃美した。

塚本訳 ルカ 9:42-44
9:42 しかし来るうちに、悪鬼がもうその子を投げ倒して、ひどくひきつけさせた。イエスは汚れた霊を叱りつけて子をいやし、父親に返された。
9:43 皆が神の御威光に驚いてしまった。イエスのされたすべてのことに皆が驚いていると、(また)弟子たちに言われた、
9:44 「あなた達はこの言葉をよく耳にしまって置きなさい。──人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない。」

塚本訳 ルカ 11:14
11:14 (ある日)悪鬼を追い出しておられた。それは唖(の霊)であった。その悪鬼が出てゆくと(すぐ)唖が物を言うようになったので、群衆が驚いた

塚本訳 マタ 21:19-22
21:19 それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった。
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」

塚本訳 マタ 22:17-22
22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」
22:22 彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。

塚本訳 ルカ 20:25-26
20:25 イエスは彼らに言われた、「それなら皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」
20:26 彼らは民衆の前でイエスの言葉質をとることができず、そのうけこたえぶりに驚きながら黙ってしまった。

塚本訳 マコ 2:5-7
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」
2:6 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」

塚本訳 マコ 5:18-20
5:18 そこで舟に乗られると、悪鬼につかれていた者が、ついて行きたいと願った。
5:19 しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」
5:20 すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、デカポリスに言いふらし始めた。皆が驚いた

塚本訳 マコ 5:41-42
5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。
5:42 ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた。

塚本訳 マコ 7:36-37
7:36 イエスはだれにも言ってはならぬと人々に命じられたが、命ずれば命ずるだけ、ますます言いふらした。
7:37 そして驚きはてて言った、「あの方のされたことは、何もかも良いことばかりだ。聾や唖に、聞かせたり、物を言わせたりされるのだから。」


●キリストに権威があることが分かるのは聖霊の力による。

塚本訳 マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから

塚本訳 マタ 21:23-27
21:23 宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」
21:24 イエスは答えて言われた、「ではわたしも一つ尋ねる。それにこたえられたら、わたしも何の権威でそれをするかを言おう。
21:25 ──ヨハネの洗礼はどこから来たのか。天(の神)から(授かったの)か、それとも人間からか。」彼らはひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
21:26 もし『人間から』と言えば、民衆(の反対)がこわい。みんながヨハネを預言者と思っているのだから。」
21:27 そこで「知らない」とイエスに答えた。イエスも言われた、「ではなんの権威であんなことをするのか、わたしも言わない。

塚本訳 マタ 27:11-12
27:11 さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」
27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。

塚本訳 ヨハ 18:36-38
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」
18:37 そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、御意見にまかせる。わたしは真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、わたしの声に耳をかたむける。」
18:38 ピラトがたずねる、「真理とは何か。」、ピラトはこう言ったのち、またユダヤ人の所に出ていって言う、「あの人にはなんらの罪も認められない。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

●イエスは聖書に権威を認めた。

塚本訳 ルカ 4:16-18
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』

塚本訳 ルカ 4:20-22
4:20 イエスは(読み終ると、)聖書を巻き、係の者に返して坐られた。礼拝堂にいる者の目が皆彼にそそがれた。
4:21 イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。
4:22 皆がイエスを誉めそやし、かつその口をついて出る言葉のうるわしさに驚いて、「これはヨセフの息子ではないか」と言った。


塚本訳 ルカ 16:28-31
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想終わり。6時半終了。キリストの言葉と人格に権威あり、権威は教会や人間にない。

●11:00 厨房の混合水栓が不調。先月自力で直そうとしたが、複雑な機構なのでギブアップ。TOTOメンテナンスに来てもらったら部品の交換をしてあっという間に修理してくれた。14年も使用していたので摩耗が原因であった。
●何事も「専門家」に頼むのが生きていくうえでスムーズに行く「知恵」だ。医者、弁護士、建築士、然り信仰のこと。
●12:30 ATMへ。ノルディック・エクササイズ・ウォーキング。
●14:00 妻は体操、自彊術。
●TSK日本語版16章
●FMでオペラ「ドンジョバンニ」(モーツァルト)。色恋の物語はさわやかではない。こういう方面に興味を示すキリスト者とは交際できない。汚れる。

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神の愛は親の愛。虚弱な子供の方を愛す。 ++++++++ 所感

2015/02/12 06:55

150212(木)4時目覚め、5時起床●朝の啓示「神の愛は親の愛。虚弱な子供の方を愛す」●キリスト者の皆様お早うございます。人の子の親になって初めて神の愛の深いところが分かってくるというものです。●その一つは親には総ての子供を平等に扱いたいと思う心が備わっていると感じられることです。●そして虚弱の子供の方に心が傾きます。親としてはその子の不利不足分を埋めて各人を平等にしたいというバランス感覚があります。●この観点から新約聖書のイエスの行動の動機が「読めて」来ます。罪人や病人を多く集めたのです。そこに「『父』なる神の愛」を感じます。●そうすると虚弱者を平等に扱う父に「不満」を持つ「強い」グループが現れて逆に反抗します。職業宗教家、真面目な放蕩息子の兄、●兄弟のうち、虚弱児を溺愛したために「健全」な子供が「ひねくれた」悲劇を複数知っている。その「ひねくれ」は親の愛を自分に向けようとする生理的現象ではあるまいか。風邪などの子供が普通にかかるに病気にも親の愛を自分に向けようという生理現象ではあるまいか。●あの内村鑑三は弟の達三郎と激しい確執があった。その理由は、達三郎が虚弱であったために、母親が彼を溺愛したためと言われている。親の愛がより多く弟に注がれたので内村鑑三としても生理的に弟とうまくいかなかったのではないだろうか。これは内村家に限らず、キリスト教がその家に入った時に起こる兄弟間の確執の深淵である。●最近「親という病気」という本が出版されてよく売れているという。あー「なるまじきは親」「持つまじきは子」である。子供は親にとって「自分の十字架」である。しかし親としてはそこから神の愛の知恵を学ぶことができるのだ。●今朝はこの人間としてはどうしようもない難問を聖書に見て「感話」してみよう。

口語訳 創 4:1-17
4:1 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
4:2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4:4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
4:5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。

4:6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
4:7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
4:8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
4:9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
4:10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
4:11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
4:12 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
4:13 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません
4:14 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
4:15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
4:16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
4:17 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。


●人類の始祖は「殺人者」。人類の血には「殺人者の血」が混じっているのだ。エリアカザンの名作映画、「エデンの東」、有島武郎「カインの末裔」。
●上の子は下の子を親の目が届かないところでいじめるのは昔も今も同じ。親は後でそれを知る。
●なぜカインの供え物は顧みられなかったのか。この難問はパウロの出現を待たねばならなかった。神はなぜユダヤ人を受け入れなかったのか。それは全人類の救いのためであった。ユダヤ人パウロはロマ書9-10章で「自分的にそう思って、自分で自分を慰めたのだ。

口語訳 創  25:24-34
25:24 彼女の出産の日がきたとき、胎内にはふたごがあった。
25:25 さきに出たのは赤くて全身毛ごろものようであった。それで名をエサウと名づけた
25:26 その後に弟が出た。その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで名をヤコブと名づけた。リベカが彼らを産んだ時、イサクは六十歳であった。
25:27 さてその子らは成長し、エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。
25:28 イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。
25:29 ある日ヤコブが、あつものを煮ていた時、エサウは飢え疲れて野から帰ってきた。
25:30 エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」。彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。
25:31 ヤコブは言った、「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」。
25:32 エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。
25:33 ヤコブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。
25:34 そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。

●イサク家の子育ての失敗。あのリベカは弟のヤコブの方を愛してグルになって父親のイサクを騙した。
●矢内原忠雄の先妻の子が伊作(イサク)。忠雄は母親の写真を伊作に見せなかった。伊作は親戚に行って実母の写真を見せてもらった。伊作はかわいそうであった。後妻の子は勝。

口語訳 創  27:1-17
27:1 イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。
27:2 イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。
27:3 それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、
27:4 わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。
27:5 イサクがその子エサウに語るのをリベカは聞いていた。やがてエサウが、しかの肉を獲ようと野に出かけたとき、
27:6 リベカはその子ヤコブに言った、「わたしは聞いていましたが、父は兄エサウに、
27:7 『わたしのために、しかの肉をとってきて、おいしい食べ物を作り、わたしに食べさせよ。わたしは死ぬ前に、主の前であなたを祝福しよう』と言いました。
27:8 それで、子よ、わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。
27:9 群れの所へ行って、そこからやぎの子の良いのを二頭わたしの所に取ってきなさい。わたしはそれで父のために、父の好きなおいしい食べ物を作りましょう。

27:10 あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」。
27:11 ヤコブは母リベカに言った、「兄エサウは毛深い人ですが、わたしはなめらかです。
27:12 おそらく父はわたしにさわってみるでしょう。そうすればわたしは父を欺く者と思われ、祝福を受けず、かえってのろいを受けるでしょう」。
27:13 母は彼に言った、「子よ、あなたがうけるのろいはわたしが受けます。ただ、わたしの言葉に従い、行って取ってきなさい」。
27:14 そこで彼は行ってやぎの子を取り、母の所に持ってきたので、母は父の好きなおいしい食べ物を作った。
27:15 リベカは家にあった長子エサウの晴着を取って、弟ヤコブに着せ、
27:16 また子やぎの皮を手と首のなめらかな所とにつけさせ、
27:17 彼女が作ったおいしい食べ物とパンとをその子ヤコブの手にわたした。

●あのリベカは「悪い妻」であった。エサウをさしおいてヤコブを溺愛した。一方を溺愛するとここまで悪知恵が働くか。
●私は遺言で、財産(少ないが」)は子供達は平等に分割するように書いた。
●建築を仕事にしていると遺産を巡っての骨肉の争いを見ているからだ。


塚本訳 マタ 21:28-32
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。

21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

●ここのところ話は明快である、塚本訳では兄は初めは「いやだ」と言いながら後で後悔して行ったが、次男は初めは「行く」と良い返事をしておきながら結局は行かなかったとなっている。しかし兄と弟の返事が全く逆になっている写本もあって面倒この上もない。それぞれにもっともな理由があるが想像の域を出ない。この分野の研究は面白そうだが、正文批判をやると人生を失うらしい。
●アノ田川建三は写本にめっぽう強いが、その論考の最後は「おそらく」とか「だろう」で終わり、龍頭蛇尾。紙幅が嵩むだけだ。
●聖書は素人読みが的を得る。本質読みになる。聖書は直観で読もう。
●放蕩息子の譬話からすれば弟がダメ人間であったが後で後悔したので神の御心にかなったとなっている。
●活人生では、兄と弟が逆の場合があるであろう。ポイントは人間世界の常識で駄目人間と思われていてもある日後悔してハラハラと涙を流す時が来るというのだ。これ希望である。今ダメ人間でも神の目からすれば救いの対象。

塚本訳 ルカ 15:11-32
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。
15:25 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、
15:26 ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。
15:27 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』

15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

●これも二人息子の話。イエスは家庭を持っていなかったのにどうしてこのような話題を入手したのだろう。
●ダメ人間の回心こそ新約聖書の精神。神の愛の対象。
●兄はまじめ人間。しかし父が弟に目を書けたことに腹を立てて「ひねくれた」
●障碍者を抱えた家では両親があまりにその障碍者に愛情を注ぐので、「まともな」子供は生理的に」反発して「ひねくれる」。私はそういう悲劇を複数知っている。これ人生の呻きと涙である。しかしその涙と呻きも」神はご存知だ。いつかよくなる。きっと良くなる。

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朝の啓示と黙想おわり。人間の愛の努力には限界がある。子供は神に愛される時に真に立ち直れる。21節「お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました」の塚本敷衍(の神様)は千金の重みがある。●人は神と和解が出来て初めて地上の人間と和解が出来るのだ。
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新約聖書の精神 ++++++++ 所感

2015/02/11 06:13

150211(水)3時目覚め、4時起床●朝の啓示「神は気の毒な人や悪人に目をつけ、悔い改めに導いて救われる」●キリスト者の皆様お早うございます●このテーゼが新約聖書の精神です。資本主義世界の根本原理であるマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(プロ倫)よりも大切で巨大強力かつ千古不易の大真理である。そもそもこの精神が「プロ倫」の根本である。●私はこの「新約聖書の精神」を多くの人との出会いと事件を通じて学んだ。●次回3月1日の標題「なぜ 『一番大切な事』なのか」とも一脈通じる。とにかくこのテーゼがキリスト者にとって、人類にとって「一番大切な事」なのである。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●これは「小聖書」と言われる次の言葉と同じである。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである


●今朝はこの最も大切な「新約聖書の精神」を具体例で敷衍してみよう。順不同、思いつくまま。しかし精神は一貫する。
●まず神は気の毒な人や悪人に目をつけ、悔い改めに導入て救われるということ。

塚本訳 マタ 22:9-10
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

塚本訳 ルカ 6:20-21
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──
「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。


塚本訳 ルカ 6:24-25
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。

●次は「神に招かれても悔い改めが必要であること」。ここが親鸞の説く「悪人正機説」とは違うところである。神は人を救う時は罪を清める。人間の力では清まらないから神の方で清める道を開いた。

塚本訳 ルカ 13:1-5
13:1 ちょうどその時、人が来て、(総督ピラトが犠牲をささげている)ガリラヤ人たちを殺し、その血が彼らの犠牲(の血)にまじったことをイエスに報告した。
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」


塚本訳 ルカ 15:21-24
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

塚本訳 マタ 22:11-14
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」


塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●次に神は悔い改めに導いて救われる真理を見てみよう。気の毒な人が神に目をつけられる。この世の不幸は救いへの門だ。

塚本訳 ヨハ 5:5-9
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 ルカ 13:11-17
13:11 その時、そこに十八年も病気の霊につかれている女がいた。体が曲っていて、真直ぐに伸ばすことが出来なかった。
13:12 イエスは女を見て呼びよせ、「女の人、病気は直っている」と言って
13:13 手をのせられると、女はたちどころに体がまっすぐに伸びて、神を讃美した。

13:14 すると礼拝堂監督は、イエスが安息日に病気をなおされたことを憤慨して、群衆に言った、「働くべき日は六日ある。その間に来てなおしてもらったがよかろう。安息日の日にはいけない。」
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」
13:17 こう言われると、(監督はじめ)反対者は皆恥じ入り、群衆は一人のこらず、イエスが行われたあらゆる輝かしい御業を喜んだ。

塚本訳 ルカ 21:1-3
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想終わり。私は残る生涯をこの「新約聖書の精神」の告知、伝播に身を捧げよう。神が応援してくださる。これに耳をかたむける「残りの者」「あらかじめ救いに予定されている人」が待っている。

塚本訳 使  13:44-49
13:44 その次の安息日には、ほとんど町中が神の言葉を聞きに集まってきた
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった


●五日市ファインプラザにラジオ体操の講習会に行く途中、以前の住いの場所を通るので昔を懐かしんだ。

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あきる野市雨間の土地。31~55歳までここにいて、子供4人を育てた。その家は焼失。
今は駐車場になっている。

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あの丘が秋川霊園。父母が眠る。まもなく私達もあそこへ眠る。遠い福島県から来てくれた
妻も私と一緒に眠ってくれると言っている。復活の日まで。喜びの朝まで。
この道は愛子を自転車の前に乗せて父母の家に走った道だ。あの時は讃美歌
「あまつましみず」を二人で歌ったものだ。その愛子も今は3人の子供の母、涙を通して
「お父さん、永遠の命が分かったわ」と言ってくれたので感謝。

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父母は浦和からここ五日市に移って最後まで住んでいた。私も結婚までの一時期、ここにいた。
今は人手に渡って別の家が建っている。左の空き地は弟の所有。私の住いもかなり変わった。

塚本訳 ヘブ 11:13-16
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。


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10:00 五日市の」ファインプラザで「ラジオ体操講習会」。
講師はNHKテレビラジオ体操の指導者であ。多胡肇氏。評判通り超一流の指導に「目からウロコ」であった。
「自然体」「脱力」「重力のままに」の言葉が多かった。また「すぐにうまくなろうと思ってはいけない」とも言われた。
休憩時間に多胡氏に個人的な質問。「私は小学生の時から結婚してからもラジオ体操はトラウマです。一生懸命やっているつもりでも他人が見ればダラダラやっているように見えるらしいのです。どうしたら良いのですか」
多胡氏「あなたがダラダラに見られているのはあなたの筋が良い証拠です。力が抜けているのです」。これで積年の悩みが消えて「目からウロコ」。
超一流の指導者の言葉は似ている。ウィーンフィルのコンサートマスター、ライナーキュッヒルの教え方と酷似。とにかく「脱力」「脱力」。
超一流の聖書学者塚本虎二先生は人生の苦難には「素直に転べ(泣け)」と教えられた。
神戸照子さんの御主人は若くして南方洋上で戦死。それを塚本先生のところに泣きに行かれると先生は「タオルでは足りない。毛布がぐっしょりになるまで泣きなさい」と言われた。この一言で神戸さんは立直り、生涯YWCAで重要な働きをされた。神戸さんが後年、南方の島に行かれた時、夫が死んだであろう海の浜辺を行きつ戻りつ夫の名を何度も呼びながらその場にうずくまって号泣されたという。後日私(高橋)は神戸さんのその後の消息を伺ったが、すでに故人になられていた。

塚本先生のような超一流の先生のいない現在の我々は、生ける主イエスが我々の超一流の指導者だ。塚本先生はそれを望んでおられたのだ。

塚本訳 ヨハ 6:45
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。



●妻は『バッハ・ロ短調ミサ曲』の練習




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復活信仰のない人との交際に注意せよ ++++++++ 所感

2015/02/10 06:26

150210(火)3時半目覚め、4時起床、寒いので朝風呂●キリスト者の皆様お早うございます●今朝の黙示は「復活信仰のない人との交際に注意せよ」これは塚本訳第一コリント15:33の敷衍である。この思い切った敷衍は前後の文脈から来ているパウロの心である。

塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)


●「悪い人と遊んじゃいけない」とはこの世の常識であるが、キリスト者にとってこの「悪い人」とはパウロに言わせれば復活、特に有体的復活を信じない人である。神もキリストも信じている洗礼も受けている、教会員にもなっていると言っている人の中に、肝心の「キリストの有体的復活」を信じていない人が多い。
●特に仏教地盤の日本のキリスト教はその傾向が強い。パウロのエン・クリストー「キリストにあって」「キリストと共に」という神秘的な体験が「復活」概念だとする聖書学者も出る始末だから困るのだ。八木誠一はその筆頭である。復活を仏教的概念で捉える方が理性に楽だからである。八木誠一の本は世に受け入れられる。(講談社、清水書院)。八木誠一はグンデルトの影響で仏教の悟りを体験したから、キリスト教の使信の核心からずれた。
●しかし何も驚くことはない。初代キリスト教にもそういう風潮があった。

塚本訳 Ⅰヨハ4:3
4:3 どんな霊でも、イエス(が肉体を取られた神の子であること)を公然認めないものは、神から(出たの)ではない。それは反キリストの霊である。それが来ることを、あなた達は(かねがね)聞いていたのであり、今やすでに、それがこの世におるのである。

塚本訳 Ⅱヨハ1:7
1:7 というのは、イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない誘惑者が、多く(この)世に出てきたのである。これが誘惑者であり、また(最後の日に現われるかの)反キリストである。

●ヨハネ書簡はグノーシスに対決するものである。「グノーシス」は幅が広くとらえがたい「思想」であるが、ヨハネ書簡を裏返して読めばそれがいかに誕生したばかりのキリスト教にとって「命取り」のものであったかが分かる。「キリスト教の敵はローマ帝国ではなくグノーシスであった」と言われている。
●翻って日本の無教会にもその危険がある。「見えるものをことごとく否定する」信仰の傾向が、有体的復活をも否定する傾向がある。これはキリスト教の自殺行為である。あの岩下壮一(カトリック神父)は「無教会が真理ならば、キリストが肉体をとってこの世に降らなくてもよかった」と無教会の危険を指摘した。
●有体的復活は肉眼で見えた。そう証言したのでパウロは裁判にかけられた。復活は心の中での「悟り」ではない。

塚本訳 使 23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

●しかし、復活を信じないキリスト信者に憤慨してもしょうがない。憤慨する方が間違っている。なぜか。復活信仰は神が与えるものだからだ。神の側からのアクションなしに人は有体的復活を信ずる信仰は持てない。
●人間ではどうしようもできない「有体的復活の信仰」。このことをイエスは復活を信じないサドカイ人との問答で、「神の力を信じない」からそうなうのだと言った。

塚本訳 マコ 12:23-24
12:23 (もし復活があるなら、)人が復活する復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」
12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。

●またイエスは復活の信仰は「人間的手段」ではどうにもならないことを言う。

塚本訳 ルカ 16:26-31
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●このことは信仰のことについてもいえる。パウロは言う。

塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

●私の知る一御夫人、「東大卒、大蔵省勤務」に目が眩んで結婚したが、「失敗したー、失敗したー」と嘆いた。当たり前だ、そういうことに目がくらんだ自分の信仰がなってなかったのだ。無教会の七不思議は、学歴自慢、血縁自慢、人脈自慢、先生自慢、語学自慢、・・・・・これらは偶像である。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅱコリ6:14-18、7:1
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』
6:18 『わたしは』あなた達の『父になり、』あなた達は『わたし達の息子』娘『に』なる、『と全能者である主が仰せられる。』

7:1 だから愛する者たちよ、こんな(神の)約束がわたし達にはあるのだから、肉と霊とのあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れて完全に聖くなろうではないか。

●有体的復活を信じない人との交際を避けるべきである。説得しても無駄だからである。時間とエネルギーの無駄というより、神のお心がどうかとの姿勢がなければならない。「こりゃー駄目だ。」と思ったら。さっさとそういいう人物からは距離を置かなければならない。「これは駄目だ」と思ったらその人(牧師、伝道者、信者〕とは別れるべきである。また教会(集会)から逃げるべきである。あのパウロは本山のエルサレム集会から去った。


塚本訳 使  13:45-48
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

塚本訳 使  18:5-8
18:5 しかしシラスとテモテとがマケドニアから下ってきてからは、パウロは(生活の心配がなくなったので)ただ御言葉(を伝えること)に身をゆだね、ユダヤ人にイエスが(彼らの待ち望んでいる)救世主であることを証しした。
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」
18:7 そしてそこ[礼拝堂]を去り、テテオ・ユストという敬神家の家に行っ(て伝道を始め)た。その家は礼拝堂の隣にあった。
18:8 しかし礼拝堂監督のクリスポは全家族そろって主を信じた。また多くのコリント人もパウロの話を聞き、つぎつぎに信じて洗礼を受けた。


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朝の啓示と黙想。キリストの有体的復活を信じると、不真面目な信者と争いになる。彼らを爆撃するな。言っても無駄だ。御心ではない。放っておけば枯れる。神が注意してくださる。無理はいけない。


塚本訳 Ⅰコリ7:15
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

●有体的復活を信じるキリスト信者であるが故に親兄弟、親戚という肉の血縁関係はうまくいかなくなる。これ信者の宿命。然り、教会(集会)内信者ともうまくいかなくなる。仕方がない。イエスはいう。

塚本訳 マタ 10:34-39
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

●9:00 妻は池谷医院、銀行、根津のYさん。
●私は得意の野菜炒めで昼食
●自分史、140831~150207までの分を追加。44万メガバイト。CDに焼き付けて物置にセット。
この調子だと私の生涯の日記は一枚のCD640メガバイトに収まる。短い、はかない一生よ。
●TSK日本語版エゼキエル書13章。この調子だとインプット終了は6月末。
●録画してあった、「超高層ビル解体」の記録を見た。赤坂プリンスホテルの解体の大成建設(市原英樹所長)による新工法。
●17:20 山川歯科


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歯科の帰り。南西の」空に金星。宵の明星
テニスンの辞世の詩。「砂州こえて」を口ずさむ。



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有体的復活は神が個人的に教える ++++++++ 所感

2015/02/09 06:01

150209(月)キリスト者の皆様お早うございます。●5時起床、非常に寒い朝です。急いで身支度、お湯を沸かしてからパソコン。●今朝方の啓示は「有体的復活は神が個人的に教える」●これを3月29日(第5日曜)の感話としたい。副題は「イエスの有体的復活を信じられなかった人々」●私の残りの人生はこのことを巡って叫び続けることが出来れば満足だ。後の人が「アレは『有体的復活』を固く信じて死んでいった」と言われれば満足だ。●この生き方をするとき、信者の中で、社会運動、社会改造、趣味享楽、思想哲学に生きて「これが信仰の展開だ」などと暇なことをやっている人間を批判できない。批判するのには時間がかかる。無駄な時間だ。批判するのはこちらが相手と同レベルに落ちることだ「汝人を裁くなかれ」だ●「反対しない人間は味方だ」「放っておけ」「信仰の違いをかれこれ言うな」

文語訳 マタ 7:1-2
7:1 なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。
7:2 己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。

塚本訳 ルカ 9:49-51
9:49 ヨハネが言った、「先生、あなたの名を使って悪鬼を追い出している者を見たので、止めるように言いました。わたし達と一しょに(あなたに)従わないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
9:50 イエスはヨハネに言われた、「止めさせるには及ばない。反対しない者はあなた達の味方である。」
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

塚本訳 ロマ 14:1-2
14:1 信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに
14:2 (信仰は人それぞれで、たとえば、)ある人は(信仰が強くて肉でも)なんでも食べてよいと信じており、(信仰の)弱い人は野菜(だけ)を食べる。

●さて、本論、本論.●某夫人の御主人は「死人(キリスト)が復活したなどということを信じる宗教は信じられない」と言っているという。この疑問は理性では当然である。キリスト教人口の多い国でも同じであろう。なぜか。そもそもイエスの弟子や初代教会の人たちもそうであったからである。
●それでまず、イエスの有体的復活を信じられなかった人々を見てみよう。「有体的復活」は理性と一般常識では信じられないのが真理である。

塚本訳 ルカ 24:9-11
24:9 墓から帰り、十一人(の使徒)とそのほかみんなの人に、一つのこらずこのことを知らせた。
24:10 これを使徒たちに話したのは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤと、および、この女たちと一しょにいたほかの女たちとであった。
24:11 しかし使徒たちはこの話が冗談のように見えたので、女たちを信じなかった。

塚本訳 マコ 16:10-13
16:10 この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
16:11 この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった
16:12 そのあとで、そのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、別の姿で自分を現わされた。
16:13 この人たちも、行って残りの人たちに知らせたが、この人たち(の言うこと)も信じなかった


塚本訳 ヨハ 20:24-27
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」


塚本訳 マタ 28:16-18
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。

塚本訳 使  26:6-11
26:6 それで、今わたしが(こうして)ここに立って裁判を受けているのは、神がわたし達の先祖に与えられた(救世主の)約束に対して希望を持っているからです。
26:7 わたし達十二族(全ユダヤ民族)は(今なお)この約束を実現していただきたいと望んで、夜昼熱心に(神に)奉仕しております。(ところが不思議なことに、)王よ、この約束の希望について、わたしは(同族の)ユダヤ人に訴えられたのです
26:8 (あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか
26:9 ところで実はこう言うわたしも、(かつては)ナザレ人のイエスの(救世主という)名に対して大いに反抗すべきであると考え、
26:10 エルサレムで実際それをやったのです。すなわち大祭司連から全権を受けて多くの聖徒を牢に閉じこめ、また彼らが処刑されるときそれに賛成したのは、だれあろうこのわたしでありました

26:11 わたしはまたあらゆる礼拝堂でしばしば罰をもって彼らを強要して、(イエスを)冒涜させようとしました。そして彼にむかい猛り狂って、(ユダヤの)国の外の町々にまで行って、迫害をつづけたのであります。


塚本訳 使  26:19-25
26:19 アグリッパ王よ、(こんな栄光ある職を受けたのです。)それゆえ、わたしはこの天からの示しにそむかず
26:20 まずダマスコとエルサレムとの人たちに、ユダヤ全国に、それから異教人に、悔改めて神に帰り、悔改めにふさわしいわざをするようにと告げました。
26:21 そのためユダヤ人はわたしを宮でつかまえて、殺害しようと企てたのです。
26:22 しかし神の助けをこうむり、今日まで(こうして)立って、小さい者にも大きい者にも証しをしているのです。それも預言書とモーセ[聖書]とが、将来必ずおこると語った以外のことは、何も言いません
26:23 すなわち、救世主は死なねばならないこと、彼は死人の中から最初に復活して、(イスラエルの)民にも異教人にも光を伝えねばならないことを…」
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。

塚本訳 Ⅰコリ15:12-19
15:12 ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか
15:13 しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。
15:14 キリストが復活しておられないならば、わたし達の説教はそれこそ根拠がない。あなた達の信仰も根拠がない。
15:15 またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである
15:16 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。
15:17 しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。
15:18 従ってまたキリストを信じて眠った者も滅びたのである。
15:19 もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。


塚本訳 Ⅰコリ15:33-39
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)
15:34 真にまじめになれ、罪を犯すな。(あなた達の)中には、(神を知っていると思いながら)神の知識を持たない者があるのだから。辱しめるために、あなた達に言うのだ。
15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。
15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。
    試訳 (君は何といふ)愚か者(であらう)!君の播くものが(一旦)死ななければ、活かされて(新しい芽となら)ない(ではない
    か)。

15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。
15:39 すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。

●人はいかにして有体的復活を信ずるに至るか。神が個人的に教えて下さる様をみてみよう。

塚本訳 ヨハ 20:19-23
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」
20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。

20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」

塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」

塚本訳 ルカ 24:29-35
24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

塚本訳 ルカ 24:44-49
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。
24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい

塚本訳 使  16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

塚本訳 ヨハ 6:45
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。

口語訳 イザ 54:13
54:13 あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える。

口語訳 エレ 31:33-34
31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想おわり。有体的復活は神の恩恵によって個人的に心の目を開かれる時に信じられるようになる。それは各自に意外なことが起こって来る。それは恩恵の時。

●9:45 妻はコーラスの練習
●今朝の啓示をまとめて、3月29日の感話にする。

●TSK日本語版 エゼキエル書11章
●NANAクリニック(皮膚科)
●ノジマ、プリンターのインク
●東急、封筒、ポストイット

2015_02090001.jpg 

冬の夕暮れ。冬の奥多摩連山、冬の林、梅がほころぶ。
讃美歌を独唱する。

御神の賜いし、この日も暮れけり
いざや今朝のごと、御恵みを讃えん。



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全世界を儲けようとする心 ++++++++ 所感

2015/02/08 06:33

150208(日)3時半目覚め、4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の啓示は「全世界を儲けようとする心」です。●人間の行為のほとんどは全世界を儲けるか世界から賞賛を浴びることを目指しています。愛されることを渇望しているからです。●ヒットラーとフセインに共通のことは幼児期(1~5歳)に親から愛情を十分に受けなかった点であり、長じて二人とも全世界を儲けようとしたり、国民から崇められ賞賛されることを欲したのはそれが原因だと言われています。あの暴虐は幼児期の愛情の不足を長じてから取り戻そうとした心理的、精神的、生理学的な事らしい。●人のことは言えない。キリスト者の中にもその宗教活動が人から賞賛されたいという動機からのものがある。神に愛されてない証拠である。心が満たされてない証拠である。おそらく幼少期に親からの愛情が不足していたのであろう。●今日、キリスト者の中ですぐ天下国家を断罪批判する人を見ると神にも人にも愛されて育ってこなかった人だなーと気の毒に思うのである。天下国家を断罪批判して世間の注目を浴びるという「人間からの愛」を渇望しているのだ。●「イスラム国」に身を投じる世界の若者は世界を支配して心の平安を得ようとしているのだ。そこには日本人もいるというのだから、日本のキリスト者にも責任がある。彼らは心が空白で心が満たされてないのだ。●「この世の教育」はこの世で有名な人になることを目的としている。だから見えない神に対する信仰を持たない子供が大量に生まれる。

塚本訳 マタ 6:1
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。

塚本訳 マタ 6:5
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。

塚本訳 ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

塚本訳 マタ 23:15
23:15 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちはたった一人の改宗者を作るために海と陸とを飛びまわり、そして(改宗者が)できると、自分たちより倍も悪い地獄の子にするからだ。


●これに対して神の子イエスは「この世」からの愛情でなく、「神からの愛」を求めるように言う。今朝はそのことを黙想してみよう。

塚本訳 マタ 16:24-26
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

塚本訳 ルカ 12:17-21
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』

12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」

塚本訳 ルカ 10:17-20
10:17 七十二人が喜んで帰ってきてイエスに言った、「主よ、あなたの名を使うと、悪鬼までがわたし達に服従します。」
10:18 彼らに言われた、「悪魔が稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ていた
10:19 (悪魔の下働きをする)『蛇』や蝎『を踏みつけ、』また敵のあらゆる力に打ち勝つ全権をあなた達に授けたではないか。だから、あなた達に害を加えるものは一つもない。
10:20 しかし(悪い)霊どもがあなた達に服従したことを喜ばず、自分の名が天(の命の書)に書き込まれていることを喜ばなくてはいけない。

塚本訳 マタ 4:5-11
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)
4:7 イエスは言われた、「ところが、『あなたの神なる主を試みてはならない』とも書いてある。」
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」

4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」
4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。

塚本訳 マタ 16:21-23
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

塚本訳 マタ 10:27-28
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

塚本訳 ヨハ 18:35-37
18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」
18:37 そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、御意見にまかせる。わたしは真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、わたしの声に耳をかたむける。」


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朝の啓示と黙想。神に愛の目を注がれようとする人生はこの世に隠れる。マスコミに出ない。本にならない。人には知られない。人には知られなくても神に知られることこそ幸いな人生なのだ。
●知られざる弱小教会(集会)、田舎牧師、知られざる信者こそ神に見られている。
●東京聖書読者会の先輩があるとき「高橋君は有名になりすぎている」と注意してくださった。感謝、感謝。この世で有名になると天国には入れない。

文語訳 マタ 7:13-14
7:13 狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。
7:14 生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!


塚本訳 ルカ 21:1-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。

塚本訳 マタ 25:37-40
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、
『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

塚本訳 ルカ 18:22
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」


●次の言葉はヒルティのもの。


ほまれを求めるな。(義務に強いられないときには)それはいつもあまりにも無駄である。
求めよ、愛(いつく)しみを。神の恵みを。(1870.12.25)

この自筆の額は、塚本虎二先生が所有されていた。


これを私なりに解釈すると次のようになる。

有名になろうとするな。それはたとえ得たとしてもも空しい。
神に愛され見つめられる人生であれ。

●妻と集会へ。
●10:00 集会は茂木(司会)、高木(マルコ9章)、山本(第二テモテ2章)
●高木さんの「ロシアの復活祭」の」話はよかった。キリストの集会は毎回「復活の記念」でなければならない。日本のキリスト教が弱いのは復活を仏教的に解釈しているからである。八木誠一の思想は仏教と変わらない。
●昼食は小寺夫妻と私。信濃町の千疋屋。主にある者の会食は楽しい。
●妻はコンサート。(青梅街道)

●TSK日本語版エゼキエル書10章





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人間関係の息苦しさに光 ++++++++ 所感

2015/02/07 06:28

150207(土)キリスト者の皆様お早うございます。●「イスラム国」がヨルダンのパイロットを処刑したことに対してヨルダンは「報復」の空爆を開始、いつの場合でも戦争の始まりは「報復心」である。

口語訳 申 19:19-21
19:19 あなたがたは彼が兄弟にしようとしたことを彼に行い、こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。
19:20 そうすれば他の人たちは聞いて恐れ、その後ふたたびそのような悪をあなたがたのうちに行わないであろう。
19:21 あわれんではならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足をもって償わせなければならない。



●「イスラエル国」を「法の裁き」に伏させようという「正義心」がこれ「報復」の心であり、戦争の始まりである。●この報復合戦はとどまるところを知らない。●米国の神学者ニーバー(?)は「国家の本質はエゴだ」と言っているらしいが、正論だ。「イスラエル国」対「有志連合諸国は「エゴとエゴの戦い」である。●日本の行為はl「人道支援」だという立場も「イスラム国」からみれば有志連の同盟国の一員」である」●今回のヨルダンの報復空爆をい見ると、人間の人間たる限界という」ことを感じる。●しかしコトは対国家間の」ことではない。家庭内戦争、兄弟親族内の戦争、社内戦争、エクレシヤ内戦争、職場内戦争、労使紛争、叱り「神学者の憎悪」による「神学論争」、聖書学者の「正統論争」なども「人殺し」の心を根に持っている。哲学者や政治学者の思想闘争もある。企業はライバル企業の没落を願う。海軍の敵は陸軍。●人のことは言えない。キリスト教界内部では教派争いがある。牧師対役員、信者対信者の争い。無教会は教派ではないが、無教会内でも「わが師尊し」の戦いがある。●相思相愛で結婚した二人も2年も立つとお互いのアラが見えてきて「息苦しくなり」相手を心で批判するようになる。●争いのうち最も強力なのは宗教の争いである。相手を殺すことが神のためだと思う。

塚本訳 ヨハ 16:1-3
16:1 このことを話したのは、(わたしがいなくなったあとで、)あなた達が(信仰に)つまずかないためである。
16:2 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。
16:3 彼らがそんなことをするのは、父上をもわたしをも知らないからである。


●以上の争いはすべて人間が人間であるが故の宿命である。人間は生まれつき「人殺し」である。

塚本訳 ヨハ 8:34-36
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である
8:35 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

塚本訳 ヨハ 8:44
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。


●ではこの人間の宿命である殺人の性質から救われる道はあるのか。ある。

塚本訳 ルカ 4:18
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』
『押えつけられている者に自由をあたえ、』


塚本訳 ヨハ 8:36
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

塚本訳 Ⅱコリ3:15-17
3:15 いやむしろきょうまでモーセ(律法)が朗読される度毎に、ベールは彼らの心にかかって(いるので、そのほんとうの意味が隠されて)いる。
3:16 『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

●パウロは実際家であった。お互いの存在が「息苦しく」なったら、距離をおいて付き合えという。この実際訓は牧師に不満を持った信者にも言える。●カラヤンは一時ウィーンフィルとベルリンフィルをかけもちであったが、一方のオーケストラの楽員に「息苦しい」と思われ始めたら(オケの楽員はそうなることが宿命)、すぐ一方のオーケストラに逃げたという。賢かった。●無教会主義集会また同じ。あまりどっぷり一人の人の聖書講義でなく、「みんなの集会」の精神で聖書講義は持ち回りがよい。

塚本訳 Ⅰコリ7:5-7
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。
7:6 (今わたしは妻を持った方がよいと言ったが、)しかしこれは(あなた達の弱さを思いやって)譲歩して言うのであって、命令するのではない。
7:7 (欲を言えば、)人が皆、わたしのよう(に独身)であってもらいたい。しかしそれぞれ神からいただいた独自の賜物があって、この人はこう、あの人はこうである。(独身も恩恵、結婚も恩恵である。)

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朝の黙想おわり。主の霊のあるところに自由あり。人間関係が「息苦しく」なったなら、「主のもとに逃げ込め。しばらく相手から離れよ。

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秋留台公園でAED講習会。実際やってみて初めて解った。

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秋留台公園でウォーキングの講習会。お腹をへこませて歩く極意を
教えられた。

●14:30 妻の合唱団の会計係の資料をパソコンで作成。出発時間に間に合わず、妻を追いかけて駅せ手渡す。
●16:00 集会のKTさんに渡す「日記と感想」今週分をプリント。
●TSK日本語版エゼキエル書9章。妻も私も結構忙しい毎日だ。







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主の招きに応じた人々 ++++++++ 所感

2015/02/06 05:48

150206(金)3時半目覚め、4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます●昨日は人生の岐路に立った人からの報告があった。●人生は「岐路」の」連続である。そういう時に人は深く思い悩むものである。それは将来が見えないからである。就職、結婚、転職、住むべき場所。●この世の知恵は一般常識で有利不利、損得、世間体で進路を決定するが、キリスト者は「主の導き」という「知恵」で決定する。そこに「主のお声がかり」「主のまなざし」というものを感じるのだ。●ヒルティ「幸福論Ⅲ」の「わが汝になさんとするは驚くべき事なり」(白水社版)「驚くべき導き」(岩波版)●人生の歩む道は「常識的判断」が危なくない決定の方法であるが、主にある人には時が来ると「招きの声がかかって」勇躍して主に従うようになるものだ。その時は「この世」から「やめておけ」という引止めがかかるが、「主の決定」は鋼鉄の腕、覆すことは出来ない。●現代においてはA・シュヴァイツァーのアフリカ行き、パスカルのキリスト教弁証人生の道、ダンテの主人公、バンヤンの「天路歴程」の主人公、皆「人生の半ば」(ダンテ「神曲」の冒頭の言葉)に世の栄達を捨てて、決然と顔を前へ向け、世の反対を振り切って進むようになったのだ。●かくいう不肖私も35歳の時に建築設計事務所から「お声がかかった」。社会的には小規模な会社であり、家族を抱えていたので大いに迷い、逡巡すること一年。最後は「主のまなざし」を感じたので決断して飛び移ることにした。その時は大きな船からボートに飛び移る心境であった。●決心したことを設計事務所の所長に言うと「万事万般整っているから安心して来い」という返事。結果的に私の人生は良くなった。経済法則ではなく、精神の自由を得たからだ。●その前に私達の結婚は、お互いに会うことなく「主の導き」と信じて決定した。初めて会った日には「婚約式」の打ち合わせをした。こういう結婚はその後の結婚生活で「益」となった。

●われらの主は年の頃おそらく32歳ごろ、神の招きに従った。家族から「気が狂った」と思われた。

塚本訳 マコ 3:20-21
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。

塚本訳 ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、


●人生は一回だ。周囲から「気が狂っている」と思われても、男一匹「決然とその顔」を固く前に向ける冒険がなければならない。

●ヒルティは主の導きに身をゆだねる人には次々と良いことが起こると次の箇所を指摘する。上記論考標題の根拠。

口語訳 出  34:10
34:10 主は言われた、「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしは地のいずこにも、いかなる民のうちにも、いまだ行われたことのない不思議を、あなたのすべての民の前に行うであろう。あなたが共に住む民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたのためになそうとすることは、恐るべきものだからである。


●またヒルティは「聖書には「恐れるな」という言葉が多く出てくるが、それは「神の導き」の身をゆだねている人に対してだけ発せられているのである」。と言っている。
●今朝は主の招きで「非常識」「不利」「損」な道に従った「信仰の篤い」人々を思い出してみよう。この引用はおそらくヒルティに喜ばれると思う。

●アブラハム

口語訳 創  12:1
12:1 時に主はアブラムに言われた、「
あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。

塚本訳 ヘブ 11:8-16
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。
11:9 信仰によって、彼は約束の地に他国人として『宿った』。彼は同じ約束の(ものの)共同相続人(である子)イサクおよび(孫)ヤコブと一しょに、天幕に住んだのである。
11:10 (どうしてこんな生活に甘んじたか。)彼は(堅固な)土台を持つ(天の)都を待ちのぞんでいたからである。その建設者また創造者は神である。
11:11 信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから


●モーセ

口語訳 出  14:26-31
14:26 そのとき主はモーセに言われた、「あなたの手を海の上にさし伸べて、水をエジプトびとと、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。
14:27 モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれにむかって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。
14:28 水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。
14:29 しかし、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。
14:30 このように、主はこの日イスラエルをエジプトびとの手から救われた。イスラエルはエジプトびとが海べに死んでいるのを見た。
14:31 イスラエルはまた、主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた。

口語訳 出  34:10
34:10 主は言われた、「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしは地のいずこにも、いかなる民のうちにも、いまだ行われたことのない不思議を、あなたのすべての民の前に行うであろう。あなたが共に住む民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたのためになそうとすることは、恐るべきものだからである。

塚本訳 ヘブ 11:23-29
11:23 信仰によって、モーセは生まれて『三か月のあいだ』、両親によって『隠された』。彼らは幼児の『奇麗なのを見て』(神に選ばれたことを知り)、王の命令を恐れなかったからである。
11:24 信仰によって、『モーセは成長したとき』パロの王女の子と言われることを拒み、
11:25 一時的の罪の享楽をするよりは、むしろ神の民と一しょに虐待されることを選んだ。
11:26 彼は『キリストの(受けられる)罵りを(受けることは)』、エジプトの宝にまさる大なる富と考えたのである。(来るべき天からの)報いに目を向けていたからである。
11:27 信仰によって、彼は王の憤りを恐れず、エジプトを去った。彼は見えない神をあたかも(目で)見ているようにして、我慢したのである。
11:28 信仰によって、彼は『過越の食事』と、(門に)『血を』そそぐことを実行した。『殺す者が』(イスラエルの)初子たちに(手を)触れないためである。
11:29 信仰によって、
イスラエル人たちは陸地のように紅海を歩いて通ったが、エジプト人たちは、これを試みて溺れた。


●イエス

塚本訳 マコ 8:31-33
8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。
8:32 しかもおおぴっらにこのことを話された。するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
8:33 イエスは振り返って、弟子たちの見ている前でペテロを叱りつけられた
、「引っ込んでろ、悪魔!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

塚本訳 マタ 26:38-39
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた
、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

塚本訳 マタ 26:42-46
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
26:43 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。
26:44 イエスは彼らをのこして、もう一度向こうに行き、また同じ言葉で、三度目に祈られた。
26:45 それから弟子たちの所に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。そら、人の子が罪人どもの手に渡される時が近づいた。
26:46 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」

●パウロ

塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 ガラ 1:15-17
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、
1:16 異教人に福音を伝えさせるため御子をわたしに啓示する決心をされたその時、わたしはじきに血肉[人間]と相談をせず、

1:17 また、先輩の使徒たちに会いにエルサレムにのぼりもせず、アラビヤに行き、ダマスコに戻った。(このようにわたしの福音はキリストの啓示によるもので、人からのものではない。)


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朝の啓示と黙想。人の歩む道は人間ではなく、主が決める。

口語訳 エレ 10:23
10:23 主よ、わたしは知っています、
人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを/自分で決めることのできないことを。

口語訳 詩  37:23
37:23 人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

口語訳 箴  20:24
20:24 人の歩みは主によって定められる、
人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。

●8:30 妻は地元の映画館に「エクソダス・・・神と王」を観に行く。
●13:00 妻から映画を観た感想を聞いた。私の気が付かないことがあった。
●14:00 図書館に行く。ノルディック・エクササイズ・ウォーキングは楽しい。

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大雪の予報が外れてこの天気。悪い予想が良い方に変わるのは人生の「ささやかな喜び」。
ヒルティは「会って見たら良い人であった」ということが起こるのは「ささやかな喜び」であると
言っている。






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『死よ、どこに、お前の勝利は』。キリスト者の墓はこの世になし ++++++++ 所感

2015/02/05 05:40

150205(木)3時半目覚め、4時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●集会の一御夫人から「終活」(生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくこと)のお手伝いを依頼されているが、昨日はその一部の突っ込んだご相談をした。●私はもう35年も前にこの方の「地上のお住まいを設計したので今また「終活」のお手伝いを依頼されたことは実にうれしいことである。●一方、私達自身の墓については、地元の秋川霊園にある「高橋家の墓・・・(墓碑銘)神は愛なり」は私達の代で終わりにし、そこに眠っている父母と、母方の祖父母の遺骨とともにその秋川霊園の永代供養の合同墓地に入ろうと思っている。私の兄はすでに別の霊園に墓を購入しているからである。●この墓を建立した父母のことを思うと少し淋しいという気持ちもあるが、墓参に来る人も少なく、私達の子供にも了解を取り付けてあるので今のところそうしようろ思っている。●こんなこともあり今朝はキリスト者の墓について黙想してみたい。●東京聖書読者会の先輩方は亡くなると御両親の墓に眠ったり、ご主人の郷里の墓に入ったり、それは人によって様々である。そしてその方たちの墓参をする人はまずいない。●従ってキリスト者としての交わりは東京でのほんの一時期だけである。すると「今、この時、今日一日、今の瞬間」が非常に尊いものに思われて来るのだ。仏教思想の「一期一会」である。●妻、子供、エクレシアの方々との交わりも生きている「今だけのこと」である。だから大切な一日である


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旧約における死と墓の思想は先祖と共に眠ることである。

         

口語訳 創  15:15                                      15:15 あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。

口語訳 創  31:3                                      31:3 主はヤコブに言われた、「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとに行きなさい。わたしはあなたと共にいるであろう」。

口語訳 創  48:21                                      48:21 イスラエルはまたヨセフに言った、「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。

口語訳 創  49:29-31                                   49:29 彼はまた彼らに命じて言った、「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。                                                    49:30 そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、                    49:31 そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。                                 49:32 あの畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々から買ったものです」。          49:33 こうしてヤコブは子らに命じ終って、足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。

口語訳 Ⅰ列 2:10-11                                    2:10 ダビデはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られた。               2:11 ダビデがイスラエルを治めた日数は四十年であった。すなわちヘブロンで七年、エルサレムで三十三年、王であった。

口語訳 Ⅰ列 11:43                                    11:43 ソロモンはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に葬られ、その子レハベアムが代って王となった。


口語訳 創 47:28-30
47:28
ヤコブはエジプトの国で十七年生きながらえた。ヤコブのよわいの日は百四十七年であった。
47:29
イスラエルは
死ぬ時が近づいたので、その子ヨセフを呼んで言った、「もしわたしがあなたの前に恵みを得るなら、どうか手をわたしのももの下に入れて誓い、親切と誠実とをもってわたしを取り扱ってください。どうかわたしをエジプトには葬らないでください。
47:30
わたしが先祖たちと共に眠るときには、わたしをエジプトから運び出して先祖たちの墓に葬ってください」。
ヨセフは言った、「あなたの言われたようにいたします」。


しかしユダヤ教、キリスト教、イスラム教の」信仰の祖アブラハムはウルの地の親族と別れたので、先祖と共に葬られることはなかった。その墓は「マクベラのほら穴」(死海西方)。ウルからマクペラは約1000キロの異国である。アブラハムは「旅人」であった。

口語訳 創  12:1-2
12:1
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、
親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい
12:2
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

口語訳 創  23:1-4
23:1
サラの一生は百二十七年であった。これがサラの生きながらえた年である。
23:2
サラはカナンの地のキリアテ・アルバすなわちヘブロンで死んだ。
アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた。
23:3 アブラハムは死人のそばから立って、ヘテの人々に言った、
23:4
「わたしはあなたがたのうちの旅の者で寄留者ですが、わたしの死人を出して葬るため、あなたがたのうちにわたしの所有として一つの墓地をください」

口語訳 創  23:8-9
23:8
彼らに言った、「もしわたしの死人を葬るのに同意されるなら、わたしの願いをいれて、わたしのためにゾハルの子エフロンに頼み、
23:9
彼が持っている畑の端の
マクペラのほら穴をじゅうぶんな代価でわたしに与え、あなたがたのうちに墓地を持たせてください」。

口語訳 創  23:17-20
23:17
こうしてマムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、畑も、その中のほら穴も、畑の中およびその周囲の境にあるすべての木も皆、
23:18
ヘテの人々の前、すなわちその町の門にはいるすべての人々の前で、アブラハムの所有と決まった。
23:19
その後、アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った。
23:20
このように畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々によって
アブラハムの所有の墓地と定められた。

モーセも「先祖たちと一緒に」なれなかった。今となっては墓の存在すらわからない

口語訳 申  31:16
31:16
主はモーセに言われた、「
あなたはまもなく眠って先祖たちと一緒になるであろう。そのときこの民はたちあがり、はいって行く地の異なる神々を慕って姦淫を行い、わたしを捨て、わたしが彼らと結んだ契約を破るであろう。

口語訳 申  34:1-6
34:1
モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、
34:2
ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示し、
34:3
ネゲブと低地、すなわち、しゅろの町エリコの谷をゾアルまで示された。
34:4
そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。
34:5
こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6
主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。


旧約の死生観は」日本の「無常観」と」類似。                                                        

口語訳 詩  90:1-6
90:1
主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2
山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3
あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5
あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6
あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。

口語訳 詩  90:9-10
90:9
われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

口語訳 詩  39:5
39:5
見よ、
あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも/息にすぎません。〔セラ

口語訳 創  5:21-24
5:21
エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。
5:22
エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。
5:23
エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
5:24
エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21
そして言った、/
わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。


口語訳 箴  31:30
31:30
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。


新約の死生観は「死の突破」。キリスト者の墓はこの世になし。否、あってはならない。

塚本訳第一コリント 15:55
15:55
死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』

塚本訳 ヨハ 11:23-27
11:23
イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24
マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25
イエスがマルタに言われた、「
わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26
また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。
このことが信じられるか。」
11:27
イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16
そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。
これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43
こう言ったのち、
大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44
死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

塚本訳 ルカ 8:52-56
8:52
(集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「
泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。
8:53
人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54
しかしイエスは女の子の手を取り、
声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55
霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
8:56
両親が呆気にとられていると、イエスはこの出来事をだれにも言うなと命じられた。

                                         塚本訳 マタ 27:50-53                             27:50 しかしイエスはふたたび(何か)大声で叫ばれると共に、息が切れた。27:51 その途端に、宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、                                     27:52 墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、        27:53 墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。

塚本訳 ヨハ 5:28-29                              5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、                   5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

塚本訳 マタ 11:2-6
11:2
さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
11:3
「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4
イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──
『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、
死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6
わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

 

塚本訳 マコ 3:21                               3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。

塚本訳 マタ 13:57                               13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」

塚本訳 マタ 10:28-29

10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。

塚本訳 マタ 28:5-6
28:5
天使は女たちに言った、「恐れることはない。
あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6
ここにはおられない。
かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。

塚本訳 使  20:24
20:24
しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、
神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

塚本訳 ヨハ 20:6-9                                   20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼はに入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。                                           20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。                                   20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。        20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

塚本訳 ヨハ 20:11-13

20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、                    20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。                                 20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

塚本訳 ヨハ 20:16-18                                  20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)          20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」                      20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

塚本訳 ヨハ 18:36
18:36
イエスが答えられた、「
わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。

塚本訳 ヨハ 4:20-26                              4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」                                 4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。                           4:22 ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。                                4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。                                    4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」  4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」              4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」

塚本訳 エペ 2:19
2:19
だから、
君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり




塚本訳 Ⅱコリ5:1

5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。


塚本訳 ピリ 3:20
3:20
しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。塚本訳エペ 2:19
2:19
だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族で

塚本訳 ピリ 3:20
3:20
しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。塚本訳エペ
2:19
2:19
だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり

塚本訳 Ⅱコリ5:1

塚本訳 ピリ 3:20
3:20
しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。塚本訳エペ
2:19
2:19
だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族

塚本訳 ピリ 3:20
3:20
しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。塚本訳エペ
2:19
2:19
だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)

 

塚本訳 ヘブ 11:13-16

11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。

11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。

11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。

11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。

塚本訳 Ⅱコリ4:16

4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

塚本訳 Ⅱコリ4:16

4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

塚本訳 ピリ 3:20
3:20
しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのであ
塚本訳 ピリ 3:20
3:20
しかし(私達はそうであってはならない。)
私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

塚本訳ルカ 16:9-10

16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

 

塚本訳 ヨハ 14:1-3

14:1 (あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。

14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。

14:3 (間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想おわり。キリスト者の墓はこの世にはない。神のもとで眠るのだ。お迎えが来るまで

●TSK日本語版エゼキエル書7章
●雪が降りはじめた。
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天国目指して Go ahead  進め、進め! ++++++++ 所感

2015/02/04 06:32

150204(水)3時半目覚め、5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は信仰に益となる良い映画を観ました。それは「エクソダス・神と王」です。モーセは出エジプトの時に、パロの率いるエジプト軍に追い詰められるが、「渡れそう雄ないもない海を眼前にして、仲間に「渡ろう、渡ろう」と促す。すると「意外なことが起こる」。これが信仰の目で見た映画のハイライトです●人生追い詰められると神を信じる者には「意外なことが起きる」。おそらく全国展開すると思いますので、信仰の篤いキリスト者にお勧めです。信仰の目がないと数々の奇跡を見て、「あんなことは神話であり得ない」とあざあざ笑っておしまいである。そういう人はチケット代が無駄ですから見ない方が得です●キリスト者の中にも、十字架や有体的復活を「あざ笑う」人が入ます。有名な聖書学者の中にもいるから困るんだなー。そういう聖書学者は大抵が「聖書で飯を食っている」連中である。●今朝は人生追い詰められて、神を信じて前へ進むっきゃないときに、神が助けて下さった例を聖書に見てみます。関連するところを思いつくまま順不同。●特に「親族に別れる」ことが共通の必要条件だ。

口語訳 創 12:1-4
12:1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい
12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、/あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、/あなたによって祝福される」。
12:4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。

口語訳 創 22:1-3
22:1 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。
22:2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
22:3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

口語訳 創 19:15-17
19:15 夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。
19:16 彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。


口語訳 創 19:24-29
19:24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
19:25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった
19:27 アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、
19:28 ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。
19:29 こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。

口語訳 ヨナ 1:1-3
1:1 主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、
1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。
1:3 しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。

口語訳 ヨナ 3:10
3:10 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。

塚本訳 ルカ 9:51-58
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み
9:52 (まず行くさきざきに)使を先発させられた。ところが、彼らが行ってイエスのために宿の用意をしようとしてサマリヤ人の村に入ると、
9:53 村人たちはイエスが顔をエルサレムへ向けて進んでおられるので、承知しなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て(憤慨して)言った、「主よ、(エリヤのように)『天から火を』呼び『下して、』あの奴らを『焼き殺してしまい』ましょうか。」
9:55 イエスは振り返って二人を叱り、
9:56 みなとほかの村へ行かれた。
9:57 彼らが道を進んでいると、ある人がイエスに言った、「どこへでもおいでになる所はお供をします。」
9:58 イエスはその人に言われた
、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

塚本訳 マタ 26:50-54
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」

塚本訳 ルカ 14:25-26
14:25 大勢の群衆がイエスと一しょに旅行をしていると、振り向いて言われた、
14:26 わたしの所に来て、
その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また
福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

塚本訳 マタ 10:34-38
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

塚本訳 マタ 10:21-23
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。

塚本訳 マコ 3:20-21
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。

塚本訳 マタ 12:46-49
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ

塚本訳 マタ 20:20-23
20:20 その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。
しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」

塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、
イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」

塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 使  13:45-47
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、
それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」

塚本訳 使  18:5-8
18:5 しかしシラスとテモテとがマケドニアから下ってきてからは、パウロは(生活の心配がなくなったので)ただ御言葉(を伝えること)に身をゆだね、ユダヤ人にイエスが(彼らの待ち望んでいる)救世主であることを証しした。
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。
18:7 そしてそこ[礼拝堂]を去り、テテオ・ユストという敬神家の家に行っ(て伝道を始め)た。その家は礼拝堂の隣にあった。
18:8 しかし礼拝堂監督のクリスポは全家族そろって主を信じた。また多くのコリント人もパウロの話を聞き、つぎつぎに信じて洗礼を受けた。

塚本訳 使  20:23-24
20:23 ただ、聖霊は(預言者たちをもって)到る所の町で、縄目と苦難とが(あそこで)わたしを待っていると証しをしてくださったことのほかは。
20:24
しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

塚本訳 ピリ 3:12-14
3:12 しかしこれは(何も)既に(それを)捉えたとか、既に完成されているとか言うのでは(もちろん)ない。ただもしや私も(それを)捉えることが出来はしないかと、走っているまでである。私もキリスト・イエスに捉えられたのだから。
3:13 兄弟達よ、
私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて
天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想おわり。クリスチャンたるものは、天国を目指して「ひた走りに走る」のだ。後ろのものを忘れて前を向いて。そうすると大抵は、常識外、了見が狭い、と非難される。しかし「行け」「進め」「Go ahead]」。アブラハム、モーセ、イエス、パウロに倣って。

 
●8:00 妻は婦人の読書会へ。「塚本虎二著作集」。今日は妻がレポーター。





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神様、どうしてなんですか。 ++++++++ 所感

2015/02/03 05:40

150203(火)3時半目覚め、5時起床●朝の啓示「神様、どうしてなんですか」●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は「神様、どうしてなのですか」という思いになることがおこりました。●第一は秋葉原無差別殺人事件の犯人に死刑判決のニュース。その事件とその後のいきさつはネットでよくわかります。中でも次の毎日の記事は被害者の家族も崩壊したことが書かれていて、いたたまれなくなる。

http://mainichi.jp/select/news/20150201k0000m040073000c.html

●当時、岩波の図書に「神様どうしてなんですか」という被害者の知人の一女性の悲痛な叫びに対し、聖書学者の大貫隆氏が「この問いにはキリスト教の紋切型の答えでは満足しないはずだ」という論考を載せた。かくいう大貫隆氏の答えもその女性には通じなかったはずだ。
●次は「イスラム国」に殺された後藤健二さんの母親の記者会見。「母」の子を失った悲しみに憔悴しきった顔がいたたまれない。
●三番目は、私自身が夕暮れの道で障碍者の子供を抱えた若い母親に通りすがったことである。
●以上三つの事件を通して、私自身の心に浮かんだのは「神様、どうしてなんですか」という問いである。
●これに対する答えは、この世の知恵による慰めではとうてい満足できない。そこで天地の創り主なる責任者の神に問うことにする。神の子キリストの胸ぐらをつかんで答えを引きだすことにする。
●こういう私の「聖書に聞く」行為も当の本人には到底通じないはずだ。「子を失った母は慰められようとしないのだ」

塚本訳 マタ 2:18
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


●イエスの時代にも、「人生の不可解、不条理」に遭遇して神の子キリストの胸ぐらをつかむ姿勢で問いを発した例がある。今朝はそれを見てみよう。果たして神の子キリストの答えは何か。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


●これを聞いても本人や家族はイエスが何を言っているのかさっぱりわからなかったはずだ。

塚本訳 ヨハ 11:21-26
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか
。」


●これを聞いたマルタは27節ですぐ信じたように書いてあるが、実際のところはやはり納得しなかったのではあるまいか。

塚本訳 ヨハ 19:25
19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた


●これは万感胸に迫る光景である。「スターバトマーテル」(悲しみの聖母)である。
●この一句の中に人生の悲哀がすべて込められている。
●以上三つの例は失った悲しみであるが、神の子キリスト自身も次のように叫んだ。

塚本訳 マコ 15:34
15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。



●キリストはこの時「信仰を失った」のだ!。神に捨てられたからである。神の目的はそこにあった。愛する子を捨てるまでに「この世を愛して」救うために神自身が泣いたのだ。天が闇になったのだ。(マタイ27:45)。断腸の思いであったのだ。キリスト教の土台はここにある。


●しいて人間私の言葉をつけ加えるならば、人生の不可解な不条理はこれ総て「神はご存知なのだ。」「御承知の上のことなのだ」
●これがわたしが言うことのできる精一杯の慰めの言葉だ。
●イエスは次のように言う。

塚本訳 マタ 10:28-29
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想おわり。アーメン、人生の不可解な不条理はこれすべて神様がご存知、否御承知の上でのこと。神はその不条理を通して積極的に本当の幸福を与て下さる。神はこの不条理を通して神の愛の何であるかを我々に教えてくださる。真の幸福へ、真の幸福へ。
●この神の愛が分かった時に初めて、人は「神様、どうしてなんですか」という嘆きは止むのだ。
●今、不条理・不可解の渦中にある人に告ぐ。神の恩恵によりそれが分かる「その時」が来ますように。

●妻は3月に予定していた「ヨルダン・イスラエル旅行」の中止を個人的にに決定。「イスラエル国」が今後世界中どこででも「日本人殺害をする」と不穏な発表をしたからである。これだけ世界中の人に迷惑をかけている「イスラム国」は今後やって行けるのだろうか。その「イスラム国」には日本人も参加しているというのだから責任は我が国にもある。人は人を裁けない。悪いことは神が裁く。
●TSK日本語版エゼキエル書5章。


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きれいな朝焼け。ラジオ体操の途中で表に出て撮影。
地上では悩みが多いが、天は平穏だ。

「御心の天になるごとく地にもならせたまえ」

12:15 地元の映画館、「イオンシネマ日の出」で「エクソダス・神と王」を観賞。1100+300(3D立体画像)、+100(3D眼鏡)=1500円。2時間半。
●非常に信仰の香がする良い映画であった。イスラエルの民がエジプト軍に追い詰められたとき、モーセは眼前の海を見てみんなに「渡ろう、渡ろう!」というところがハイライト。信仰によって海が割れた。信仰がないとこの映画の本質はわからない。篤信のキリスト者の皆様におすすめ。
●紅海が割れる奇跡、ナイル川の数々の奇跡、アブやイナゴの奇跡などはどうやって撮影したのだろう。信仰の熱心がこのリヤルな特殊撮影を生んだと感じた。大昔のセシル・B・デミル監督の「十戒」と比べて隔世の感がする。
●3D眼鏡は持ち返ってよいというので、家に返って妻に渡しながら、「見る価値があるい」と勧めた。

●妻は、郵便局に税金や各所への寄付などの支払い。年金生活は苦しいが、渡れそうもない海も信仰で渡ろうと妻と話し合った。「神の国と神に義とされることとを求めれば」。海も割れて歩ける。モーセに学ぼう。イエスに学ぼう。何とかなる。何とかなる。神が何とかして下さる。女性は信仰が深い。

塚本訳 マタ 6:33-34
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

塚本訳 マタ 4:4
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」







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人間の根源的欲求は「神の子の栄光の自由」 ++++++++ 所感

2015/02/02 06:32

150202(月)3時目覚め、朝の啓示「人間の根源的欲求は『神の子の栄光の自由』」●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は東京聖書読者会の信仰の先輩から「政治のことは語るな」とご注意を受けた。これはつまり「この世の問題を扱うな」という意味に受け取った。この言葉に来月の感話の方針に拍車がかかった。●来月3月1日の感話は「なぜ『一番大切な事」か」である。まず翻訳比較

文語訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 我が第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に應じて我らの罪のために死に
15:4 また葬られ、聖書に應じて三日めに甦へり


口語訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと


新改訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと


新共同 Ⅰコリ15:3-4
15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと


塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること


NKJV Ⅰコリ15:3-4
15:3 For I delivered to you first of all that which I also received: that Christ died for our sins according to the Scriptures,
15:4 and that He was buried, and that He rose again the third day according to the Scriptures,


TEV Ⅰコリ15:3-4
15:3 I passed on to you what I received, which is of the greatest importance: that Christ died for our sins, as written in the Scriptures;
15:4 that he was buried and that he was raised to life three days later, as written in the Scriptures;



●なぜ「一番大切な事」なのか。それは「人間の根源的欲求である神の子の栄光の自由を得ることが出来る」からである。人間のもろもろの営みはこの欲求を満たすためにある。自由、平和、金、愛、健康、地位、・・・・・・しかしこれらはこの世のことでは満たされない。罪を赦されて神の子にさせていただき、復活の希望により永遠の命を持つ時に初めてそれが得られる。だから「一番大切な事」なのだ。人間が生きているうちに追い求めるものは実はこの栄光の影なのだ。本質の影だ。
●今朝は「人間の根源的欲求である神の子の栄光の自由」について、頭に思い浮かぶ聖句を順不同に並べてみよう。

口語訳 創  1:27-28
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された
1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。


口語訳 創  3:23-24
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

塚本訳 ロマ 3:21-24
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである

塚本訳 ロマ 5:12
5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

塚本訳 ロマ 5:17-19
5:17 一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。──
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。

塚本訳 ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

塚本訳 マタ 19:16
19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」

塚本訳 ヨハ 11:21-26
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない
。このことが信じられるか。」

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 使  20:32
20:32 今わたしは(神なる)主とその恩恵の御言葉とに、あなた達をお任せする。この御言葉にはあなた達を造りあげ、『すべてのきよめられた人たち』の仲間に入れ、『(御国の)相続財産を』与える力がある。


塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 ルカ 13:15-16
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった

塚本訳 ルカ 4:18
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』


塚本訳 ヨハ 8:31-32
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」

塚本訳 ヨハ 8:36
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

塚本訳 ロマ 6:17-18
6:17 しかし神に感謝する、あなた達は(かつて)罪の奴隷であったが、(神から信仰の)教えの型に入れられて心からそれに服従し、
6:18 罪(の奴隷たる身分)から自由にされて、義の奴隷にしていただいたのである。


塚本訳 ロマ 6:22
6:22 しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つの実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。


塚本訳 ロマ 8:2
8:2 なぜなら、キリスト・イエスによる
命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。


塚本訳 ロマ 8:21
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから


塚本訳 ロマ 14:17
14:17
神の国は(なんでも自由に)食べることや飲むことではなく、義と平安と聖霊による喜びとであるから。


塚本訳 Ⅰコリ6:12
6:12 「万事はわたしに自由である」(とあなた達は言う。そのとおり。キリストを信ずる者はモーセ律法にも縛られない。)しかし万事が有益ではない。(たしかに)「万事はわたしに自由である」。しかしわたしは何ものにも支配されようとは思わない
。(キリストによって自由であるわたしは、肉の欲に支配されない。)


塚本訳 Ⅱコリ3:17
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。
主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


塚本訳 ガラ 5:1
5:1 自由を与えるためにキリストはわたし達を自由にされた。だからしっかり立って、二度と奴隷の軛につながれるな。


塚本訳 ガラ 5:13
5:13 兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである。


塚本訳 ヤコ 2:12
2:12 (だから死んだ文字でなく、霊の)自由の律法をもって審かるべき者らしく語りまた行動せよ


塚本訳 Ⅰペテ2:16
2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。

塚本訳 ヨハ 17:5
17:5 だからお父様、(今度は)あなたが、わたしの栄光を──世界が出来る前にあなたのところで持っていたあの栄光を──今、あなたのところで持たせてください

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朝の啓示と黙想おわり。神の子の栄光と自由と喜び。これが人間の目標だ。

●TSK日本語版エゼキエル書4章
●妻はコーラス「もでらあと」の練習
●ヨルダン情勢に関心。
●15:00 郵便局、入浴剤を2軒で物色。満足するものはなかった
●帰り道、障碍者の子供を連れた若い母親に出会った。後姿を見て、心の中で「神様、どうしてなのですか」とつぶやいた。イエスは多くの病を癒した。しかしその能力は私にはない。しかしイエスは「「信じて祈れ」という。

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夕暮れに富士を見た。先ほど道で出会った障碍者の子を持つ母親のことを思った。
自然は我を救わず、父母我を救わず。神のみが人生の不孝を知って、真の救いに導く。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである


●人生の重要問題はイエスと周囲の人間の問答の中に答えがある。

●なぜ不幸があるのか?
●救われる人は少ないか?
●再婚したら、天国でどうなるか?
●「母」になれない悩み
●永遠の命はどうしたら得られるか
●人の罪を赦せないとき

●こういう問題をまとめてみたい








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神は「罪人」を選んで復活の証人に立てた ++++++++ 所感

2015/02/01 05:29

13日で満71歳7か月。平均余命11年(生命保険会社統計)、この残り時間のすべてをキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活と有体的再臨の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、子孫のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。悪魔(病魔)に取りつかれて苦しんでいる人のため。孤独と向き合っている人のため。

150201(日)4時半目覚め、5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。今朝の啓示、「神は『罪人』を」選んで復活の証人に立てた」●有体的復活の証人に白羽の矢を立てられた人に共通のことは「罪人」で神にエライ迷惑を掛けた人である。●その時間的順序にしたがって見てみよう。●キリスト教の伝道の本質は「見た。信じた。伝えた」である。

●マグダラのマリヤ

塚本訳 ヨハ 20:16-18
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

●ペテロ

塚本訳 ルカ 24:33-35
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

●パウロ
塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

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●朝の啓示と黙想終わり。本日の集会は私が当番である。現代の私もまた「見た。信じた。伝えた」の行為をしよう。あとは神が何とかしてくれる。だから「牧会」なる「人間が人間を導く」ようなことはしない。

●本日の集会の配布資料を次に掲げる。これが決定稿である。

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有体的復活の衝撃

・・・神はイエスの有体的復活の姿を「罪人を選んで」現わされた・・・

2015年2月1日、東京聖書読者会 高橋照男

●神はイエスの有体的復活の姿を「罪人を選んで」現わして「使徒」に立てた。マグダラのマリヤ(罪の女)、ケパ(ペテロ。イエスを三度否む)、パウロ(キリスト信者を迫害、殺害)、●有体的復活の姿を現わされた人は、自分の罪が赦された証明を受けた。●伝道の本質は「見た、伝えた」だけである。

0-1)塚本訳 Ⅰコリ15:1-8                             15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。                                  15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。                            15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、                                     15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、            15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。                                15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。                                      15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。                                15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。

●この最古の伝承で不思議なことは、福音書の復活記事で重要な「女たち」(ルカの言い回し ルカ2355,56 248,22)が全く出てこないことである。これは偏った情報ではあるまいか。当時の女性軽視は時代の制約だったとしても、パウロのこういう一面的な情報は聖書内での大矛盾である。歴史的真実は何か。

0-3)塚本訳 Ⅰコリ14:34-35                          14:34 婦人は集会の会合では黙っていなさい。なぜなら、婦人は語ることを許されず、律法も言うように、ただ服従すべきだからである。                         14:35 もし何か学びたいと思うなら、家で夫に尋ねるがよい。婦人が集会の会合で語るのは恥ずべきことだから。

●パウロに反してイエスは「女性の真実性」を福音伝承の根拠にせよと言った。

0-4)塚本訳 マタ 26:11-13
26:11
貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12
この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13
アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。

●そこで有体的復活の記事を4福音書で、特に罪の女マグダラのマリヤに注目しながら10の場面(シーン)に分割整理して、それごとに見てみる。とりわけ「精密に取り調べ」「順次を正して書き綴」ったというルカ福音書に注目する。

0-5)塚本訳 ルカ 1:3                             1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して

●場面―①・・・イエスは墓に納められた。時は金曜日の夕方、エルサレム。

                 

①-1)塚本訳 ルカ 23:52-56
23:52
この人がピラトの所に行ってイエスの体(の下げ渡し)を乞い、
23:53
これを(十字架から)下ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に穿った墓に納めた。
23:54 この日は支度日[金曜日]であったが、(もう夕方で、)安息日[土曜日]が始まろうとしていた
23:55
イエスと一しょにガリラヤから来た女たちは(ヨセフの)あとについて行って、墓と、イエスの体が(そこに)納められる様子とを見とどけ、
23:56
帰って、香料と香油を用意した。女たちは掟に従って安息日を休み、

●ここのところヨハネ福音書では次のようになっている。

①-2)塚本訳 ヨハ 19:40-42
19:40
彼らはイエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料をふりかけた亜麻布でこれを巻いた。
19:41
ところがイエスが十字架につけられた場所(の近く)に園があって、園の中に、まだだれも納められたことのない、新しい墓があった。
19:42
その日はユダヤ人の支度日であったので、その墓が近いのをさいわい、(安息日が始まらないうちにと、急いで)そこにイエスを納めた。

●場面―②・・・イエスの遺体の消失を知った「女たち」の」衝撃と恐れ。      ●日曜日の朝、復活の朝(金曜日から数えて三日目)、その場所はエルサレムの墓(場所に就いては諸説がある)。時は日曜日、早朝。                              ●「女たち」に語りかけたのは「かがやく着物をきた二人の人」であって復活のキリストではない。

②-1)塚本訳 ルカ 24:1-7
24:1
(翌日、すなわち)週の始めの日[日曜日]、夜の引明けに、用意しておいた香料(をまぜた香油)を持って墓場に行った。
24:2
墓(の入口)から石がころがしてあるのを見て
24:3
中に入ったが、主イエスの体は見えなかった。
24:4
そのため途方にくれていると、見よ、かがやく着物をきた二人の人が(現われて)彼らに近づいた。
24:5
ぞっとして面を垂れると、彼らに言った、「なぜ死人の中に生きた者をさがすのか。
24:6
ここにはおられない。もう復活されたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなた達に言われたことを思い出してみよ。
24:7
『人の子(わたし)は罪人どもの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目に復活せねばならない』と言われたではないか。」

●この辺のところ、マルコは次のようになっていてマルコ福音書が突然おわる。●マルコ168の「びっくりして震え上がり、何も言わなかった、恐ろしかった、」というのはルカ244の「途方にくれた」、245の「ぞっとして」、マタイ288の「恐ろしいが嬉しくてたまらず」、という表現と符合する。●復活記事のないマルコにも、「復活」という言葉が出てくる。

②-2)塚本訳 マコ 16:1-8
16:1
(翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。
16:2
そして(あくる朝、すなわち)週の初めの日[日曜日]の朝、ごく早く、日が出ると墓場に行く。
16:3
「だれか墓の入口から石をころがしてくれる者があるだろうか」と互に話しながら、
16:4
(ふと)目をあげて見ると、石はもうころがしてあった。(彼らが心配したのは)石が非常に大きかったからである。
16:5
墓に入ると、白い衣をきた一人の青年が右手の方に坐っているのを見たので、ぎょっとした
16:6
青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ。
16:7
さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」
16:8
女たちは墓から逃げ出した。びっくりして震えあがったのである。そしてだれにも何も言わなかった、恐ろしかったので。・・・・・・

●場面―③・・・「女たち」が走って弟子たちに報告に行く。日曜日の朝。●ところがその報告に向かう途中でイエスに「ぱったり」出合った。イエスが「お早う」と声をかけたので、時はまだ朝のうち。●復活のイエスが初めて姿を現された記述はこれが最初。相手は「女たち」であったことに注目。その名前はルカ2410に詳しい。ルカの精密さ躍如。

③-1)塚本訳 マタ 28:5-10
28:5
天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6
ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7
それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8
女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9
するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
28:10
するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

●場面―④・・・「女たち」の十一人の弟子への報告。                     ●弟子たちが集まっていた場所(おそらく最後の晩餐の部屋)。でイエスの遺体の消失を報告。「女たち」は走って行ったので、時は日曜日の多分午前中。                                 ●ところが男の弟子達は「女たち」を信じなかった。その理由は当時のユダヤでは女性の地位が低かったからか(マタ1538、Ⅰテモ212、Ⅰコリ 1434-35、)あるいは「有体的復活」ということがとても信じられなかったからか。

④-1)塚本訳 ルカ 24:9-12
24:9
墓から帰り、十一人(の使徒)とそのほかみんなの人に、一つのこらずこのことを知らせた。
24:10
これを使徒たちに話したのは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤと、および、この女たちと一しょにいたほかの女たちとであった。
24:11
しかし使徒たちはこの話が冗談のように見えたので、女たちを信じなかった。 24:12 [無シ]

●場面―⑤・・・弟子の二人が墓に走る。                        ●その弟子はシモン・ペテロとイエスが可愛がっておられたもう一人の弟子(おそらくヨハネの著者)。発見したのは「空になっていた墓」。彼らも走ったので時はおそらく日曜日の午前中。

⑤-1)塚本訳 ヨハ 20:1-10
20:1
(翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2
そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3
そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4
二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5
身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6
続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7
また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8
すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
20:9
イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
20:10
それから二人の弟子は家にかえった。

●場面―⑥・・・マグダラのマリヤに現れる。日曜日。おそらく午前中。

⑥-1)塚本訳 ヨハ 20:11-18
20:11
(二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12
白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13
天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14
こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15
イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16
(こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17
イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18
マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

●この場面をマルコ福音書では「付録」で次のように記す。後代の伝承か。

⑥-2)塚本訳 マコ 16:9-11
16:9
【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。
16:10
この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
16:11
この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。

●場面―⑦・・・エマオで二人に現れる。日曜日の夕方

⑦-1)塚本訳 ルカ 24:13-29
24:13
するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14
これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15
二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16
二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。
17-20 中略)
24:21
ほんとうにわたし達は、この方こそイスラエル(の民)をあがなってくださる人だと望みをかけていたのに!そればかりか、かてて加えて、そのことがあってから、きょうはもう三日目になったのです。(もはや生き返られる望みもありません。)
24:22
ところがまた、仲間の女たちがわたし達をびっくりさせました。──この女たちは朝早く墓に行ったが、
24:23
お体が見つからずにかえって来て、天使たちがあらわれ、あの方は生きておられる、と告げたと言うのです。
24:24
そこで仲間の男が二三人墓に行って見ると、はたして女たちの言うとおり(墓は空っぽ)だったが、(生きておられるという)その方は見えなかったのです。
24:25
彼らに言われた、「ああ、預言者たちの言ったことを何一つ信じない、悟りの悪い、心の鈍い人たちよ!
24:26
救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」
24:27
そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。
24:28
とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、
24:29
二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。

●場面―⑧・・・十一弟子に不思議な現れ方をする。日曜日の晩、エルサレム。

     

⑧-1)塚本訳 ヨハ 20:19-21
20:19
その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20
そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21
すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」 

             

●場面-⑨・・・エマオの二人の十一弟子への報告。
●34節の「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」はいつどこでのことなのかは学問的に疑問。

⑨-1)塚本訳 ルカ 24:33-35
24:33
時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34
ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35
それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

●場面―⑩・・・トマスに現れる。八日後。

⑩-1)塚本訳 ヨハ 20:24-28
20:24
十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25
そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26
八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27
それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28
トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

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本日の集会感話終わり

今朝5時の報道。
我が国の後藤健二さんがイスラム国に殺害された。
次の句を思う


塚本訳 ルカ 24:17-20
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、
24:18 一人のクレオパという方が答えた、「(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」
24:19 彼らに言われた、「なんのことです。」彼らが言った、「ナザレ人イエスのことです。──この方はだれが見ても、神の目にさえも、業に言葉に力のある預言者であったのに、
24:20 大祭司連をはじめ(最高法院の)役人たちが(ローマ人に)引き渡して死刑を宣告し、十字架につけてしまったのです。

●しかし、私は本日集会で、「一番大切な事」を話す。
●日本の人道主義は世界に通じない。
●キリスト教はヒューマニズムとは違うことを「敵」は教えてくれた。
●後藤さんはクリスチャン。元「日本キリスト教団代々木上原教会」,現「田園調布教会」会員

●集会は、宮崎(司会)、小寺(塚本虎二「エペソ書講義」)、高橋(「有体的復活の衝撃」内容は上記)
●阿部首相の人道主義の名目での政治行動は世界に通用しないと若干政治のことに触れたところ、終わってから「政治」を御専門とされるTH氏から「政治に口を出すな!」とコテンパンに」批判された。
●この批判は私に考えさせられた。「良薬口に苦し」。政治も経済もこの世のことなのだ。然り結婚も。そして次の句を思い出した。

塚本訳 ヨハ 7:3-5
7:3 イエスの兄弟たちが言った、「ここから移ってユダヤに行き、(今ここで)している業を(そこの)弟子たちにも見せたらどうです。
7:4 世に認められようとする者が、隠れた所で事をする法はあるまい。こんな(えらい)ことをしているのだから、(都に行って、)自分を世間に現わしたらどうです。」
7:5 兄弟たちも彼を信じなかったからである
。(彼らはイエスの国がこの世のものでないことを知らなかった。)

塚本訳 ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

塚本訳 Ⅰコリ2:1-2
2:1 わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった
2:2 あなた達の間では、イエス・キリスト以外には何も(言うまい)知るまいと、決心したからである、十字架につけられたあの方以外には

塚本訳 ルカ 10:41-42
10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う

塚本訳 ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、
決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

塚本訳 ピリ 3:12-14
3:12 しかしこれは(何も)既に(それを)捉えたとか、既に完成されているとか言うのでは(もちろん)ない。ただもしや私も(それを)捉えることが出来はしないかと、走っているまでである。私もキリスト・イエスに捉えられたのだから。
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし
(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

塚本訳 Ⅰテモ6:12
6:12 信仰の善い戦いを戦い、永遠の生命を捉えよ。君はこの生命に召されて、多くの証人達の前で(信仰の)よき告白をしたのである。

塚本訳 Ⅰテモ6:19-20
6:19 かくして自分の未来のために善い資本を積んで、真の生命を捉えるように(命ぜよ。)
6:20 ああ、テモテよ、委ねられたもの(、すなわち健全な教え)を守れ。信仰的でない無駄話と名ばかりの「知識」の反対論を離れよ。

塚本訳 Ⅰコリ15:32-33
15:32 もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)


●アーソウカ。パウロのような生き方をしよう。ただ一つのことに身を捧げよう。この世の批判をするのは自分を低級にするだけだ。「汝人を裁くなかれ」だ。





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