to 日記と感想 愛の犠牲・・・神が我々に要求すること・・・
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
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    171009     KH誕生日
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    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
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    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


愛の犠牲・・・神が我々に要求すること・・・ ++++++++ 所感

2016/01/07 06:08

160107(木)キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の啓示は「愛の犠牲・・・神が我々に要求すること」●そこで昨日のブログ「キリスト信者はなぜ身内から疎まれるのか・・・霊肉の相剋」を読んで10年前なのに「我ながらよく書いたものだ」と思ったので、これ以上言うことはないと思ったので、今朝はその最後の部分を再掲する。

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塚本訳 ヨハ 6:44-45
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。


○引っ張られるのが先か、来るのが先か。塚本訳の(しかし来れば)の「しかし」の意味が深い。たとえ救いの予定に入ってなくとも「押しかけていけば」救われるのだ。

○なんとなくエクレシアに引かれて「何年か通っていれば」、そのうち神の啓示がいただける。「求めよさらば与えられん」。ただしそのエクレシアは「有体的復活、三位一体、使徒伝承」という正統信仰をしっかりもっていなければならない。若者を欺く。


塚本訳 ヨハ 14:22-23

14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」

14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。



○これ重要な質問。しかしその答えはわかったようでわからないもの。イエスの言葉にさかのぼるのだろうか。ヨハ 6:44-45と似ている。ヨハネの神学ではないのだろうか。


塚本訳Ⅱコリ4:3-4
4:3 しかしそれでもなおわたし達の説く福音が(ベールで)覆われている(からわからないのだと言う)なら、それは滅びゆく者にとって(だけ)覆われているのである。
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。



○これパウロが自分で自分を慰めている言葉。ロマ書9~11章と内的に一致。「不信者は神に一時的にそうされているだけなのだ」というもの。これ身内に不信者をもつ我々の心得であります。。

塚本訳ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。


○これ霊肉の相剋の悩みを解決する決定的な言葉。聖書の言葉は「霊のこと」。だからそれは霊を体験した人でなかればわからない。

○しかし5次元のことは4次元の世界の人にわかってもわからなくても一応話さなければならない。その具体的な努力が「イエスのたとえ話」。

●霊のことは霊でなければわからない。 第一コリント2章14節の翻訳比較

塚本訳

2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

受け入れない(デクセタイ)・・・塚本、岩波佐藤、新共同、前田、新改訳、口語、文語、

馬鹿なこと(モーリア)・・・・塚本

→愚かなこと・・・岩波佐藤、新共同、前田、新改訳、口語、文語

理解する出来ない(デュナタイ グノーマイ)・・・塚本、岩波佐藤、新共同、口語、

        →悟り得ない・・・前田、新改訳、文語

●この信者の永遠の苦悩というものに対して新約聖書はどう言っているか。新約聖書は信者達のこの苦悩を慰め励ますために編集されている。パウロの手紙の本質もこの慰め、励まし。


塚本訳 Ⅰコリ1:18-19
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。



○我々は、世の人たちおから案外「馬鹿」「愚か」と思われている。しかしそれが事実それが正解。


塚本訳Ⅰコリ1:23-24
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。



○伝道は「馬鹿らしく」「愚か者らしく」説いた方が力がある。なまじ頭に訴えるとパウロのように失敗する。


塚本訳 使 17:32
17:32 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった。


塚本訳 使 18:15
18:15 問題が(宗教の)教義や、(救世主という)人物や、あなた達の律法に関するものなら、自分で始末したがよかろう。わたしはそんなことの裁判官になりたくない。」


塚本訳 使 25:19
25:19 この男に対しての問題は、何か彼らの宗教に関してと、死んだイエスとかいう者を、パウロ(というその囚人)が、(今も)生きていると主張したことに関してであった。


塚本訳 使 26:24-25
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。


○福音を話そうとするとき「その話はまた聞こう」と言われるのが普通。そういうときは無理して話さない方がよい。「ものみの塔」の人のように福音を「押し売り」してはかえってキリスト教の評判を落とす。薄っぺらな宗教だと思われる。

塚本訳 マタ 10:23-24
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)

○これ、身内から理解されない悲しみのときの最大の慰め。この人はダメだと思ったら「逃げよ」である。紳士的に引き下がることが大切。

○「弟子は師に勝らず」とは、イエス以上の苦労はあなた達には来ないという慰め。苦難においてイエスは「先生」。弟子たる私たちの苦難は「先生」以上にはならないというのである。慰めの言葉。進歩の否定ではない。

塚本訳Ⅰコリ4:3-5
4:3 しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。
4:4 なぜなら、わたしは身にすこしも(務めをなおざりにした)覚えはないが、だからと言って、これで義とされているのではない。わたしを判定される方は主(御自身)である。


○身内の非難は、この世的な考えからの批判。それによって裁判所に引かれたら「つまらないことだと思え」、「当然のことだと思え」、「意に介するな」というのである。

○「自分で自分を判定しない」とは自分が一所懸命やったことはすべて神に動かされたこと。だから自分で自分のことを誉めないのと同時に反省もしない。自分は神ママで動いたのだという自覚。


塚本訳Ⅰコリ7:15

7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)



○これ無教会主義集会の基本姿勢。「来るものを拒まず、去るものを追わず」

○キリスト教の集まりが「来るものを拒み、去るものを追う」であってはいけない。それは信仰というものが神の引きであることを理解しないことから生じるこの世的な悪い態度。


塚本訳ロマ 8:5
8:5 なぜ(霊によって歩けばそれができる)か。肉による者[生まれながらの人]は肉のことを追い求めるが、霊による者[キリストを信ずる者]は霊のことを追い求めるからである。



○前述の第二コリント2章14節の塚本訳「(御霊をもたない)生まれながらの人間」は他の訳では次のようになっている。

自然の人・・・新共同、

性来のままなる人、・・・口語

自然的な人間・・・岩波佐藤

○だから、われわれが、身内から非難攻撃されたら、それは「性来の自然の人」の当然の姿勢だと思うべきである。この世的!と批判しては的外れである。


塚本訳Ⅰコリ2:12
2:12 しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである。



塚本訳 Ⅰヨハ2:27
2:27 しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。



○私たちの救いは「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」で奇跡的に「戴いたもの」だから、自分の救いを自慢できない。自分の教養や頭脳を自慢できない。それは的外れな考えである。


●私たち信者としてのこの永遠の苦悩と涙は決して無駄に終わらない。


塚本訳Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


○逆に言えば私たちの人生は「骨折り」であるときに初めて無駄にならないということ。

塚本訳Ⅰテサ3:3
3:3 (斯くして)この(大なる)患難の際に(君達の中の)誰一人も揺すぶられることの無いためである。──私達(キリストを信ずる者)が斯く運命づけられていることは、君達自身が(よく)承知しているはずだ。



塚本訳Ⅰペテ4:12

4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。


○私たちの信者の人生は、艱難にあうことが「運命」。宿命。

○「運命」と訳されたケイメサは英語でto be set 。つまり我々の人生には苦難艱難悲しみの人生があらかじめセットされているというのだ。あー。

塚本訳 ピリ 2:16
2:16 かくて私の走ったことが無駄にならず、』苦労したことが無駄に』ならずに、キリストの日に名誉が私に帰するであろう。


塚本訳マタ 5:5

5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。


塚本訳 ルカ 18:28-30
18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」

文語訳ロマ 8:18

8:18 われ思うに、今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

塚本訳Ⅱコリ1:6

1:6 (すなわち)わたし達が苦しめられるにしても、それはあなた達の慰めとなり救いとなるためであり、わたし達が慰めていただくにしても、それはあなた達の慰めとなるためであって、その慰めが働いて、わたし達がうけるのと同じ苦しみをあなた達は耐え忍ぶことが出来るのである。


○ではクリスチャンのこの世での人生は「いいことない」のではないだろうか。来世で報いられると言うが、それも「行ってみなければわからない」ことだ。それがあるかどうかは五分五分だ。

○しかしそれがありそうであることは、生きているうちに戴く、霊の喜び、「ホットする」信者の交わり。このことを使徒信条では「聖徒の交わりを・・・信ず」という。

●被造物はうめいている。信者はうめいている。我々の悩みは霊のうめきで世の救いに意味がある。涙の、うめきの、つぶやきの一つも無駄に終わらない。

塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの 呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。


塚本訳 ロマ 8:28

8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

塚本訳 Ⅱコリ12:10

12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。

塚本訳ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

○私たちの苦しみは「霊の呻き」。それは救いというものがある証拠。来世に体の贖いと、霊による有体的復活があるということの証拠。

●憎まれ嫌われたらチャンス到来と思おう。「何のこれしき」と思い、相手を赦すことで天国に宝を積めるのだと思おう。この苦しみは自分だけではなく同じような目にあった先輩が大勢いたのだと思おう。そして相手の救いを祈ろう。

塚本訳 マタ 5:11-12

5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。

5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

塚本訳 ルカ 6:37

6:37 (人を)裁くな、そうすれば(神に)裁かれない。(人を)罪に落すな、そうすれば罪に落されない。赦してやれ、きっと(神に)赦される。

塚本訳ガラ 6:1
6:1 兄弟たち、もし何か過ちを犯した人があったら、あなた達霊の人は、柔和な心でこんな人を正しい道に引戻さねばならない。(ただ)あなたも(一緒に)誘惑されないように、自分に注意せよ。

塚本訳 Ⅰペテ4:15

4:15 君達のうち誰も人殺し、あるいは泥坊、あるいは悪者として、あるいはおせっかい屋として受難してはならない。

塚本訳コロ 3:13

3:13 互いに我慢して、たとい誰かに対して不平があっても、互いに赦し合え。主が君達を赦し給うたように、君達も赦せ。


塚本訳Ⅰコリ13:4-7

13:4 愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。

13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。

13:6 偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。

13:7 すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。


○塚本訳の「じっと」という訳が目立つ。マタイ5章5節、1コリント13章4節。神の力を深く信じている人の翻訳。

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朝の黙想おわり

●新約聖書一日一節黙想 ルカ6:14
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塚本訳 ルカ 6:14

6:14 すなわち、シモン──この人をまたペテロと名づけられた──と、その兄弟アンデレと、ヤコブとヨハネと、ピリポとバルトロマイと、


●十二使徒はなぜ三つのグループに分けられたのか。共観福音書と行伝の使徒表を名前が出てくる順に並べると、ペテロ、ピリポ、アルパヨの子のヤコブが節目になっていて、その下に三人がついていて(行伝除く)、計12名(行伝は11名)になっている。イエスは夜を徹して祈って選んだのはまずこの三名のリーダーではなかったのか。下記の枠内がチームリーダーらしかった。

 

第一グループ。ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ

第二グループ。ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス

第三グループ。アルパヨの子ヤコブ、タダイ(ヤコブの子のユダ)、熱心党のシモン、イスカリオテのユダ

 

●イエスが常に頼りにしていたのは第一グループの人間。ペテロと主の愛する弟子と呼ばれていたゼベダイの子のヨハネ。

 

塚本訳 マコ 3:16-19・・・使徒表(12名)

3:16 すなわち十二人を決めて、シモンにペテロという名をつけ、

3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟のヨハネと──この二人にはボアネルゲ、すなわち「雷の子」という名をつけられた。──

3:18 アンデレとピリポとバルトロマイとマタイとトマスとアルパヨの子ヤコブとタダイと熱心党のシモンと

3:19 イスカリオテのユダ。この人は(あとで)イエスを売った。

 

塚本訳 マタ 10:2-4・・・使徒表(12名)

10:2 十二使徒の名はこれである。──まず、ペテロと言われたシモンとその兄弟のアンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネ、

10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと税金取りマタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、

10:4 熱心党のシモンと(あとで)イエスを売ったイスカリオテのユダ。

 

塚本訳 ルカ 6:14-16・・・使徒表(12名)

6:14 すなわち、シモン──この人をまたペテロと名づけられた──と、その兄弟アンデレと、ヤコブとヨハネと、ピリポとバルトロマイと、

6:15 マタイとトマスと、アルパヨの子ヤコブと熱心党と呼ばれたシモンと、

6:16 ヤコブの子ユダと、イスカリオテのユダ──この人は(あとで)裏切者になった。

 

塚本訳 使  1:13・・・使徒表(11名)

1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。

 

●翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

420614〔彼らは、〕彼がペトロとも名付けたシモン、そしてその兄弟のアンドレアス、そしてヤコブ、そしてヨハネ、そしてフィリッポス、そしてバルトロマイオス、

 

新共同訳1987

6:14 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、

 

前田訳1978

6:14 すなわち、ペテロともいわれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、

 

新改訳1970

6:14 すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、

 

塚本訳1963

6:14 すなわち、シモン──この人をまたペテロと名づけられた──と、その兄弟アンデレと、ヤコブとヨハネと、ピリポとバルトロマイと、

 

口語訳1955

6:14 すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、

 

文語訳1917

"420614","即ちペテロと名づけ給ひしシモンと其の兄弟アンデレと、ヤコブとヨハネと、ピリポとバルトロマイと、"

 

●BbB、TSK、黒崎を見て心に響くものをピックアップ

 

塚本訳 マタ 17:1-2

17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。

17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。

 

塚本訳 マコ 5:35-37

5:35 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」

5:36 イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」

5:37 そしてペテロとヤコブの兄弟のヨハネとのほかには、だれもついて来ることを許されなかった。

 

塚本訳 マタ 26:36-38

26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」

26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」

 

塚本訳 ヨハ 13:21-26

13:21 こう言ったあと、イエスはひどく興奮して、(弟子たちに)はっきりこう言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人が、わたしを(敵に)売ろうとしている!」

13:22 弟子たちはだれのことを言われるのか見当がつかず、顔を見合わせていた。

13:23 一人の弟子がイエスの胸に寄り添って席についていた。イエスはこの弟子を(特別に)愛しておられた。

13:24 シモン・ペテロがその弟子に首で合図をして(ささやいて)言う、「だれのことを言っておられるのか、おしえてくれ。」

13:25 それでその弟子は(うしろの)イエスの胸にもたれかかって、たずねる、「主よ、だれですか。」

13:26 イエスが(彼に)答えられる、「わたしが一きれのパンをひたして渡すその人が、それだ。」それからパンを(汁に)ひたし、イスカリオテのシモンの子ユダに渡される。

 

塚本訳 ヨハ 19:26-27

19:26 するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」

19:27 それからその弟子に言われる、「これがあなたのおかあさんだ。」この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

 

塚本訳 ヨハ 21:20-24

21:20 ペテロが(ついて行きながら)振り返ると、イエスの愛しておられた弟子が(あとから)ついて来るのが見えた。この弟子は(最後の)夕食の時に、イエスの胸にもたれかかって、「主よ、あなたを売る者はだれですか」と言った者である。

21:21 ペテロはその人を見て、イエスに言う、「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。」

21:22 イエスが言われる、「たといわたしが今度来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない。あなたは(ただ)わたしについて来ればよろしい。」

21:23 このために、この(イエスの愛)弟子は死なないという噂が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは「死なない」と言われたのではない。ただ、「たといわたしが来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない」と言われたまでである。

21:24 これらのこと([ヨハネ福音書全体]が真実であること)を証明し、かつこれらのことを書いたのは、この(イエスの愛)弟子である。わたし達はこの弟子の証明が信用すべきであることを知っている。

 

塚本訳 ヨハ 1:42

1:42 シモンをイエスの所につれてゆくと、彼をじっと見て言われた、「あなたはヨハネの子シモンだ。あなたの名はケパがよかろう。」[ケパは(ヘブライ語であって、ギリシャ語に)訳するとペテロ(岩)。]

 

塚本訳 マタ 16:15-18

16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」

16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」

16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。

 

塚本訳 ルカ 5:10

5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様であった。イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今から後、あなたは人間を生け捕る(漁師になる)のだ。(きょうの漁は、あなたの大伝道の前ぶれである。)」

 

塚本訳 ルカ 5:8

5:8 シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」

 

塚本訳 ヨハ 1:40-42

1:40 ヨハネから聞いてついて行った二人のうちの一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。

1:41 (あくる日)まずこの人が自分の兄弟のシモンに出会って、「メシヤを見つけた」と言う。[メシヤは訳すると「救世主」である。]

1:42 シモンをイエスの所につれてゆくと、彼をじっと見て言われた、「あなたはヨハネの子シモンだ。あなたの名はケパがよかろう。」[ケパは(ヘブライ語であって、ギリシャ語に)訳するとペテロ(岩)。]

 

塚本訳 ヨハ 21:15-19

21:15 やがて食事がおわると、イエスはシモン・ペテロに言われる、「ヨハネの子シモン、(今でも)あなたは、この人たち(が愛する)以上に、わたしを愛しているのか。」イエスに言う、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存じです。」彼に言われる、「わたしの小羊を飼いなさい。」

21:16 二度目にまた言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」イエスに言う、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存じです。」彼に言われる、「わたしの羊の番をしなさい。」

21:17 三度目に言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」ペテロは、イエスが三度も「あなたはわたしを愛しているのか」と言われたので悲しくなって、言った、「主よ、あなたはなんでも御存じです。わたしがあなたを愛していることはあなたが御存じです。」イエスが言われる、「わたしの羊を飼いなさい。

21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」

21:19 このように言われたのは、ペテロがどんな死に方をして[十字架について]、神の栄光をあらわさねばならぬかを暗示されたのである。こう言ったあと、ペテロに、「わたしについて来なさい」と言われる。

 

塚本訳 ルカ 24:33-35

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、

24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

塚本訳 マタ 4:18

4:18 ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄弟アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。

 

塚本訳 ヨハ 6:8-9

6:8 弟子の一人で、シモン・ペテロの兄弟のアンデレがイエスに言う、

6:9 「ここに大麦パン五つと魚二匹持っている青年がいますが、こんな大勢の人に何の役に立ちましょう。」

 

塚本訳 マタ 4:21

4:21 またそこから進んでいって、ほかの二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネとが、父ゼベダイと一しょに舟で網を繕っているのを見て、お呼びになった。

 

塚本訳 マコ 1:29

1:29 イエスは礼拝堂を出ると、すぐヤコブとヨハネとをつれて、シモンとアンデレとの家に行かれた。

 

塚本訳 マコ 5:35-37

5:35 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」

5:36 イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」

5:37 そしてペテロとヤコブの兄弟のヨハネとのほかには、だれもついて来ることを許されなかった。

 

塚本訳 ルカ 5:10

5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様であった。イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今から後、あなたは人間を生け捕る(漁師になる)のだ。(きょうの漁は、あなたの大伝道の前ぶれである。)」

 

塚本訳 使  12:1-4

12:1 そのころにヘロデ(・アグリッパ[一世])王は(エルサレム)集会の者数人の迫害に手をつけ、

12:2 剣をもって(ゼベダイの子)ヨハネの兄弟のヤコブの首をはねた。

12:3 これがユダヤ人の気に入ったのを見ると、なお続けてペテロをもつかまえさせ、──それは種なしパンの祭の時であった(ので)──

12:4 彼を捕らえたのち牢に入れ、四人組の(夜警の)兵卒四組に渡して番をさせた。過越の祭のあとで、(裁判をする時)民衆の前に引き出すつもりであった。

 

塚本訳 ヨハ 1:45

1:45 (すると今度は)ピリポがナタナエルに出合って言う、「わたし達はモーセが律法に書き、預言者たちも書いている人を見つけた、ヨセフの子、ナザレ人イエスだ。」

 

塚本訳 ヨハ 6:5

6:5 イエスは目をあげて、多くの群衆があつまって来るのを見ると、ピリポに言われる、「どこからパンを買ってきて、この人たちに食べさせようか。」

 

塚本訳 ヨハ 14:8

14:8 ピリポが言う、「主よ、どうかわたし達に父上を見せてください。それでたくさんです。」

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新約聖書一日一節黙想 ルカ6:14 おわり

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