to 日記と感想 罪の重荷と死の恐怖・・・我汝らを休ません・・・
Top | RSS | Admin

2017.06 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2017.08


将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


罪の重荷と死の恐怖・・・我汝らを休ません・・・ ++++++++ 所感

2016/01/11 05:18

160111(月)3時半目覚め、朝の啓示「罪の重荷と死の恐怖・・・我汝らを休ません・・・」。床の中で黙想。起きよ。7時間睡眠で十分。

塚本訳 マタ 10:27
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。

塚本訳 使 26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。


●起きて、自分の言葉で言え。ということだ。

文語訳 マタ 11:28
11:28 凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。

塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。

●キリスト教会の看板にはこの言葉が多い。キリスト教は病気や圧政からの解放ではない。罪の重荷と死の恐怖からの解放である。それは絶対に解放される。医者(つまり牧師、伝道者)の腕によらない。罪が赦される血清は同質だからだ。

塚本訳 ルカ 15:1
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。


●教会は罪人の集まりである。ところがある教会(集会)に入ったら、「政治的デモに行きましょう。病気を治します。バザーをやりましょう。親睦しましょう」などと引き回されて「一番大切なこと」を教えられない。餅は餅屋なのに餅屋に行って餅が売っていない。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●パウロが「一番大切な事」と認識しているのは、罪と死の恐怖、悩み悲しみからの解放である。バンヤンの「天路歴程」はこの罪の重荷が降りるまでの旅である。名医は罪、ことに精神的病の根本は罪であることをしっとぇいる。
●肺癌の母を看取った小野寺医師は、癌の痛みは医学の進歩により次第に緩和されるが、メンタルの面が残されると言われた。これは医学では手の及ばないことである。宗教の出番である。

口語訳 詩 90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

塚本訳 ルカ 12:25
12:25 (だいいち、)あなた達のうちのだれが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。


●このはかない人生を慰める売るものは何か。演歌抒情歌は目的を達しない。

塚本訳 ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

●昨日、鮫島由美子の「日本のうた」を聞いたが「オー友よ、この調べではない」(ベートーヴェン、合唱、シラーの歌)という感じになって、菅英三子の讃美歌を聞き直した。私にとってはこれが「ふるさと」だ。日本人として「日本のうた」は涙をそそるが救いはない。暗いばかりだ。

塚本訳 黙 5:4-5
5:4 私はさめざめと泣いた。(広いこの宇宙に、)その巻き物を開いて、それを見るに相応しい者が一人も無かったのである。
5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」

●黙示録の著者も「さめざめと泣いた」のである。(広いこの宇宙に、)は何処に救いはあるのか。現代に通じる悲しみだ。しかし救いはある。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●人生の失敗、ゴタゴタ、汚点、顔出しできない過去、・・・これらは総て救いに役立つ。

塚本訳 ロマ 6:16-23
6:16 あなた達はこのことを知らないのか。──奴隷として服従するためにある人に自分をまかせれば、あなた達は服従するその人の奴隷であって、罪の奴隷になって死ぬか、それとも、(神に)従順の奴隷になって義とされ(て生き)るか、どちらかである。
6:17 しかし神に感謝する、あなた達は(かつて)罪の奴隷であったが、(神から信仰の)教えの型に入れられて心からそれに服従し、
6:18 罪(の奴隷たる身分)から自由にされて、義の奴隷にしていただいたのである。
6:19 (奴隷の例でこんな)人間的の言い方をするのは、あなた達の理解力が(まだ)弱いからである。(わたしはこう言いたい。──かつて)あなた達が奴隷になって肢体を汚れと不法とにまかせて不法を行ったように、今度は(神の)奴隷になって肢体を義にまかせて聖くなれと。
6:20 なぜなら、あなた達が罪の奴隷であった時には、義に対して自由(の身)であって(勝手放題な生活をしてい)たが、
6:21 その時いったいどんな実を得たのであったか。今なら恥ずかしいものではないか。それらのものの最後は死だからである。
6:22 しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つの実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。
6:23 なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。


●この8節の中に「罪の奴隷」が4」回もでてくる。人生の悲しみはつまるところ「罪のs奴隷」だからだ。

口語訳 伝  1:9-10
1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
1:10 「見よ、これは新しいものだ」と/言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。


●新聞テレビの報道はみな人間の罪が原因だ。天の下に新しいことはない。歴史もまた同じ。

塚本訳 ヨハ 8:33-35
8:33 しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。
8:35 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。


●日本は米国の奴隷になるまいなるまいと思っているが、日本がスイスのように永世中立の国(マッカーサーの理想)になっても罪の奴隷である限り真の平和はこない。

塚本訳 ロマ 5:1
5:1 だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。


●真の平和は神との平和。

塚本訳 ルカ 2:13-14
2:13 するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、──
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!


●キリストの降誕により、人類に平和は来た。平和運動で平和はこない。「民主主義がそんなに大切か!」(1960年、安保闘争の時の塚本虎二の丸の内講壇での喝破)●今でも同じ。米国からの自由がそんなに大切か!。主権者からの自由がそんなに大切か!。夫からの自由がそんなに大切か!。


塚本訳 エペ 6:12
6:12 私達の戦いは(この世の)血肉に対するものでなく、「権威」に対するもの、「権力」に対するもの、この暗の世界の主権者(なる悪魔)に対するもの、天上における悪霊(の軍勢)に対するものであるからである。

●我々の平和の戦いは悪魔に対するもの。

塚本訳 ヨハ 8:31-32
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」

●32節は、国立国会図書館正面ホールの打ち放しコンクリートの梁に刻み込まれている。金森徳次郎の揮毫である。これが聖書から来ていることを何%の人が知っているだろうか。

塚本訳 ヨハ 14:5-6
14:5 トマスが言う、「主よ、どこへ行かれるのか、わたし達にはわかりません。どうすればその道がわかるでしょうか。」
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

●思想、芸術、科学技術、政治、医学に救いなし。救いは神とキリストと聖霊の三位一体の霊と交わることにある。

塚本訳 Ⅰヨハ1:3-7
1:3 わたし達が見たもの、また聞いたものを、あなた達にも告げる。あなた達もわたし達と(霊の)交わりを持つためである。しかしわたし達のこの交わりは、(他方においては)父(なる神)とその子イエス・キリストとの交わりである。
1:4 わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜びが、完全なものとなるためである。
1:5 さて、わたし達が彼(キリスト)から聞いて、(いま)あなた達に告げしらせるおとずれ(というの)は、これである。──神は光であって、彼にはすこしも暗闇がないということである。
1:6 もし神と交わりがあると言いながら、暗闇を歩いているならば、わたし達は嘘をつくのであって、真理を行ってはいない。
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

●真の交際は神の霊との交わり。

塚本訳 Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。


●真の愛は罪からの解放に尽力することだ。

塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

●死の恐怖からの救いはこの神の子キリストの言葉をまともに愚直に一途に信じて死ぬことだ。笑うものは笑え。私はこの神の子の言葉に人生を賭ける。


塚本訳 ヨハ 12:46
12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである。

●ここに真の愛がある。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


●人間に光は大切。エジソンは偉かった。しかし人間位¥にとって本当の光は霊魂を照らすキリストの光。

塚本訳 ヨハ 11:9
11:9 イエスが答えられた、「(心配するな。わたしが神に命ぜられた務を果す時までは、だれもわたしに手を下すことはできない。)昼間は十二時間あるではないか。人は昼間歩けば、つまづくことはない。この世の光(太陽)が照らしているからだ。


●心配するな光はある。

塚本訳 ヨハ 9:5
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」


●キリスト教と聖書があることが「世の光」。


塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。


●人生は常に「もうしばらく」である。認知症にならないうちに信じなければならない。信じ続けなければならない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり

塚本訳 ヨハ 20:17
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

●バンヤンの天路歴程の冒頭は主人公が家人の制止を振り切って指を両耳に突っ込んで、「永遠の命、永遠の命!」と叫びながら家を出て行く場面。クリスチャンになる人も、伝道に身を捧げる人もこうでなければならない。「止めてくれるな妻よ子よ孫よ親戚よ」である。
●15年前。脳出血で意識不明になった時、「もしこの病気を直してくれたら、『有体的復活』のこときりしゃべりません」と神に呻きながら祈った。幸い直ったが、初めはうまくしゃべれなかった。娘が「お父さんはやっぱりオカシクナッテイル」と言った。そうだ「お父さんは、あの時からおかしくなったのだ。モーこの世にはいないと思ってくれ」


●新約聖書一日一節黙想 ルカ6:18
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳 ルカ 6:18

6:18 教えを聞き、また病気を直していただこうとして、そこにいた。汚れた霊になやまされていた者もなおされた。

●汚れた霊に取りつかれると本人も家の人も悩む。神の力」でなくては治りにくい。

 

塚本訳 マコ 9:14-29

9:14 (山を下りて、ほかの)弟子たちの所にかえって見ると、大勢の群衆が弟子たちを取り巻き、聖書学者たちがこれと議論をしていた。

9:15 群衆はイエス(の姿)を見るが早いか、皆びっくりして、駆けてきて歓迎した。

9:16 イエスが群衆に尋ねられた、「弟子たちと何を議論しているのか。」

9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。

9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」

9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)

9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。

9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。

9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」

9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」

9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」

9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。

9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。

9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」

9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

 

【汚れた霊】の検索。マルコに多い。

 

塚本訳 マタ 10:1

10:1 そこで十二人の弟子を呼びよせて、汚れた霊を追い出し、またあらゆる病気、あらゆる煩いをなおす全権を授けられた。

 

塚本訳 マタ 12:43

12:43 汚れた霊が(追い出されて)人間から出てゆくと、砂漠をあるき回って休み場所をさがすが見つからない。

 

塚本訳 マコ 1:23

1:23 そのとき、その礼拝堂に汚れた霊につかれた一人の人がいたが、たちまち声をあげて叫んで

 

塚本訳 マコ 1:26-27

1:26 すると汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて出ていった。

1:27 皆がびっくりして、評議して言った、「これはいったい何事だろう。権威のある新しい教えだ。この人が命令されると、汚れた霊までその言うことを聞くのだ。」

 

塚本訳 マコ 3:11

3:11 また汚れた霊どもはイエスを見ると、その前にひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫ぶのであった。

 

塚本訳 マコ 3:30

3:30 こう言われたのは、彼らが(聖霊によるイエスの業を罵って)、「あれは汚れた霊につかれている」と言ったからである。

 

塚本訳 マコ 5:2

5:2 イエスが舟からあがられると、すぐ、汚れた霊につかれたひとりの人が墓場から出てきて、イエスを迎えた。

 

塚本訳 マコ 5:8

5:8 これはイエスが「汚れた霊、その人から出てゆけ」と言われたからである。

 

塚本訳 マコ 5:13

5:13 お許しになると、汚れた霊どもは(その人から)出ていって豚に乗り移った。すると二千匹ばかりの群はけわしい坂をどっと湖へなだれこみ、湖で溺れて死んだ。

 

塚本訳 マコ 6:7

6:7 また(前に選んだ)十二人(の弟子)を呼びよせ、二人ずつ(を一組にして伝道に)派遣することを始められた。そして汚れた霊を支配する全権を授け、

 

塚本訳 マコ 7:25

7:25 汚れた霊につかれた小さい娘を持つ一人の女が、すぐイエスのことを聞きつけ、来て足下にひれ伏した。

 

塚本訳 マコ 9:25

9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」

 

塚本訳 ルカ 4:36

4:36 皆がびっくりして、互いにこう語り合った、「この言葉はいったいどうしたのだろう。権威と力があって、この人が命令されると、汚れた霊まで出てゆくのだが。

 

塚本訳 ルカ 6:18

6:18 教えを聞き、また病気を直していただこうとして、そこにいた。汚れた霊になやまされていた者もなおされた。

 

塚本訳 ルカ 6:29

6:29 あなたの頬を打つ者には、ほかの頬をも差し出し、上着を奪おうとする者には、下着をこばむな。

 

塚本訳 ルカ 9:42

9:42 しかし来るうちに、悪鬼がもうその子を投げ倒して、ひどくひきつけさせた。イエスは汚れた霊を叱りつけて子をいやし、父親に返された。

 

塚本訳 ルカ 11:24

11:24 汚れた霊が(追い出されて)人間から出て行くと、砂漠をあるき回って休み場所をさがすが見つからないので、『出てきた自分の家にもどろう』と言って、

 

●翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

420618この彼らは、イエス〔の語ること〕を聞こうとして、そして彼らの〔さまざまな〕病から治してもらおうとして、やって来たのである。また、穢れた霊に苦しめられていた者たちは〔次々と〕癒された。

 

新共同訳1987

6:18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。

 

前田訳1978

6:18 彼に耳傾け、病をいやしてもらおうとしたのである。けがれた霊になやまされていたものもいやされた。

 

新改訳1970

6:18 イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。

 

塚本訳1963

6:18 教えを聞き、また病気を直していただこうとして、そこにいた。汚れた霊になやまされていた者もなおされた。

 

口語訳1955

6:18 教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

 

文語訳1917

"420617","イエス此等とともに下りて、平かなる處に立ち給ひしに、弟子の大なる群衆、およびユダヤ全國、エルサレム又ツロ、シドンの海邊より來りて、或は教を聽かんとし、或は病を醫されんとする民の大なる群も、そこにあり。 

"420618","穢れし靈に惱されたる者も醫される。"

 

●BbB、TSK、黒崎を見て心に響くものをピックアップ

 

塚本訳 マコ 3:9-10

3:9 イエスは自分のために小舟を一艘用意しておくようにと、弟子たちに言いつけられた。群衆に押しつぶされないためであった。

3:10 大勢の者をなおされたので、病気になやむ者がみな彼にさわろうとして、どっと押し寄せたのである。

 

塚本訳 マタ 12:15

12:15 イエスはそれと知って、そこを立ちのかれた。すると大勢の者がついて来たので、一人のこらずその病気をなおして、

 

塚本訳 ルカ 5:17

5:17 ある日のこと、イエスが(人々を)教えておられると、パリサイ人と律法学者が坐って(聞いて)いた。この人々はガリラヤとユダヤのすべての村から、ことにエルサレムから来たのである。主の力がイエスに臨んで病気を直させた。

 

塚本訳 マタ 14:14

14:14 イエスは(舟から)上がって多くの群衆を見ると、かわいそうになり、その中の病人をなおされた。

 

塚本訳 ルカ 5:15

5:15 しかしイエスの噂はいよいよ広まってゆき、大勢の群衆が、(教えを)聞き、また病気をなおしていただこうと集まってきた。

 

口語訳 詩  107:17-20

107:17 ある者はその罪に汚れた行いによって病み、その不義のゆえに悩んだ。

107:18 彼らはすべての食物をきらって、死の門に近づいた。

107:19 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、

107:20 そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。

 

塚本訳 マタ 15:22

15:22 すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」

 

塚本訳 マタ 17:15

17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。

 

塚本訳 使  5:16

5:16 またエルサレムの周囲の町々の住民が、病人や汚れた霊に苦しめられている者をつれて集まってきたが、一人のこらずなおされた。

 

口語訳 詩  103:3

103:3 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新約聖書一日一節黙想 ルカ6:18 おわり

●12:00 浦和のMAさん(86歳)から日本ナザレン教団浦和教会の関谷忍牧師が一月七日に召されたと連絡があった。小脳の難病、80歳であられた。最後は病気のため教会を辞されていた。
●私は16歳の時に関谷牧師から受洗した。教会に熱心に通うようになったある日、父が関谷牧師を尋ね「どうか照男を救ってください」といったという。受洗を決意したとき、関谷牧師は「アーよかった。お父さんから頼まれていたのです」と喜んでくださった。そばにいたMAさんも一緒に喜んでくださった。
●その年に私は無教会の塚本虎二先生に出会い、無教会に転向した。教会に不義理した。あれから56年。私には無教会が「水に合った」。毎年8月には浦和教会の礼拝に出席することにしていた。その都度関谷牧師は喜んで迎えてくれた。最近牧師夫人から「高橋君には高橋君の道がある」と関谷牧師が言っていたと聞いた。最後はご病気で面会謝絶のため、地上ではお礼を言えなかったが来世で感謝の御礼をしたい。「また会う日まで」。

●日本聖書協会 新翻訳 パイロット版 意見具申。黙示録8章。最後の審判は人間だけでなく天も地も審判される。宇宙の滅びはこうなのだろうか。





























スポンサーサイト
トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


<<歩いて行く道・・・先は見えないものだ・・・ | Top | ユダは悪くない。悪いのはサタン。・・・神はユダを救う・・・>>




Comment


コメント












管理者にだけシークレットコメントをおくる



Trackback
Trackback URL
→http://teruonikki.blog55.fc2.com/tb.php/3859-8d1412fc
FC2blog user only
| Top |
0814