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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


パウロの宣教・・・死の悲しみを突破する「イエスの有体的復活」・・・ ++++++++ 所感

2017/03/08 05:37

170308(水)4時起床。さかなのえ ΙΧΘΥΣ・イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)=イクスス(魚) ●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は日本聖書協会「新翻訳」のパイロット版の意見具申をしていて、使徒24章にいたり、活劇を見ているようで非常に面白かった。パウロが第3回の伝道旅行を終えてエルサレムに戻ったところ「あろうことか」ユダヤ教の本山から非難と迫害があった。それに対するパウロのぎりぎりの弁証は「イエスの有体的復活」であった。

塚本訳 使  23:6-8
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」
23:7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人とのあいだに意見の対立がおこり、法院が分裂した。
23:8 なぜならサドカイ人は復活も天使も霊もないと主張するのに対して、パリサイ人はこれを認めるからである。

●そしてカイザリヤに護送され総督ぺりクスの前で弁明するに、またぞろ次のように言った。

塚本訳 使  24:14-15
24:14 しかしわたしは次のことは正直に認めます。わたしは(キリストの)道に従って、(この人たちと同じ)祖先の神を礼拝しております、この人たちはこれを異端と言って(そしって)おりますが。すなわちわたしは(モーセ)律法と預言書[聖書]とに書いてあることを全部信じ、
24:15 (また)この人たち自身もいだいている(復活の希望、)正しい人と正しくない人との復活が来ようとしているという希望を、神に対して持っているのであります。

塚本訳 使  24:20-21
24:20 あるいはまた(ここにいる)この(エルサレムの)人たち自身も、わたしが最高法院の前に立ったとき、どんな不正が(わたしに)認められたか、言ってみたまえ!
24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

●つまり、パウロの「生命線」は「死人の復活」、イエスの有体的復活の宣教であった。三度の伝道旅行の労苦もつまりはこの「イエスの復活の事実」のことであった。

塚本訳 使  26:22-23
26:22 しかし神の助けをこうむり、今日まで(こうして)立って、小さい者にも大きい者にも証しをしているのです。それも預言書とモーセ[聖書]とが、将来必ずおこると語った以外のことは、何も言いません。
26:23 すなわち、救世主は死なねばならないこと、彼は死人の中から最初に復活して、(イスラエルの)民にも異教人にも光を伝えねばならないことを…」


塚本訳 Ⅰコリ15:15-20
15:15 またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである。
15:16 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。
15:17 しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。
15:18 従ってまたキリストを信じて眠った者も滅びたのである。
15:19 もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として

塚本訳 Ⅰコリ15:32-33
15:32 もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。                                                  15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)

●「人は死んだらどうなるのか。意識はあるのか」という質問が、正月に来た小4の孫娘から出た。それに答える形で去る1月29日の感話で話したのが次である。良い質問はよい答えを生む。

「福音は死を突破する・・・「有体的復活」がその証明・・・」

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/170128.htm

●初代教会の宣教は「イエスの有体的復活」に尽きる。これが人類の悲しみの根源である「死」からの」救いだからである。新約聖書はその宣教の手段として存在していた「文書」がまとめられたものである。そもそもマルコ福音書は「ペテロの宣教」(使徒10:34-43)を敷衍拡大したものである。洗礼者ヨハネ、イエスの病気治療、十字架、復活の4本柱からなる説教を拡大したのである。このマルコが土台になってマタイもルカもできた。福音書を一言でいえば「主の言葉・神の言葉」である。初代教会で「主の言葉」が猛烈に広がったという一言は「イエスの有体的復活」のことである。これは去る2月24日のブログにアップしたが、そのなかのいくつかを掲げよう。

塚本訳 使  8:25
8:25 さて使徒たちは証しをし、また主の言葉を語ったのち、エルサレムに帰った。(道すがら、)多くのサマリヤ人の村々でも福音を伝えた。


塚本訳 使  13:48-49
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった。


塚本訳 使  19:10
19:10 これが二年つづいたので、アジヤ(のこの地方)に住んでいる者は皆、ユダヤ人も異教人も、主の言葉を聞いた。


塚本訳 使  19:20
19:20 こうして主の言葉は勢いよく成長し、また力を増した。

●パウロが一番大切なことと考えていたのは「有体的復活」であった。これなくしてパウロの生涯はなかった。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●パウロは「いのちがけ」で「有体的復活」という「神の言葉の種」を播いた。それがどう育って行くのかは彼自身楽しみであり、期待でもあった。今朝はそれを見てみよう。

塚本訳 ルカ 8:11-15
8:11 譬(の意味)はこうである。──種は神の御言葉である。
8:12 道ばたのものとは、(御言葉を)聞くと、あとで悪鬼が来て、彼らを信じて救われることのないように、その心から御言葉をさらってゆく人たちである。
8:13 岩の上のものとは、御言葉を聞く時、喜んで受け入れるが、この人たちには(しっかりした信仰の)根がないので、その当座は信じているが、試みの時に離れおちる人たちである。
8:14 茨の中に落ちたもの、これは(御言葉を)聞く(と、しばらくは信じている)が、とかくするうちに人生の心配や富や快楽に押えつけられて、実の熟さない人たちである。
8:15 しかし良い地のもの、これは御言葉を聞くと、りっぱな善い心でこれをしっかり守り、忍耐をもって実を結ぶ人たちである。

塚本訳 使  15:35-36
15:35 しかしパウロとバルナバとはアンテオケに滞在して、ほかの多くの人たちと共に、主の御言葉を教えまた伝えていた。
15:36 数日の後、パウロはバルナバに言った、「さあ、もう一度行って、前に主の御言葉を伝えておいたすべての町の兄弟たちがどうしているか、見てこようではないか。」

塚本訳 Ⅰコリ3:10-17
3:10 わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。
3:11 なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。──
3:12 ある人がこの土台の上に金、銀、宝石、(あるいは)木、草、藁で建てれば、
3:13 それぞれの仕事(が金か藁か)は、かならず明らかになる。(最後の裁きの)かの日がそれを明らかにするのである、その日は火で現われるから。そしてそれぞれの仕事がどんなであるかを、その火が試験して証明する。
3:14 その(土台の)上に建てたある人の仕事がそのままのこれば、褒美を受け、
3:15 ある人の仕事が焼けてしまえば、罰を受ける。ただ彼自身は、火をくぐるようにして(やっと)救われるのである。
3:16 (とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか。
3:17 (だから、争いなどで)この神のお宮をこわす者があれば、神がその人を滅ばされる。神のお宮は神聖だから。──あなた達はそのお宮である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示黙想ディボーションおわり。神の福音の種は「有体的復活」。それは播きっぱなしでよい。神がコレという人に落として神ご自身が育ててくださる。

塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない

塚本訳 Ⅰコリ2:14-15
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。
2:15 反対に、霊の人はすべてのことを判断することができるが、しかし彼自身はだれからも判断されることがない


塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、
わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●11:30 妻と茅ヶ崎の金子幸子さんの家へ行く。家屋リフォームの完成検査。その後の「主の交わり」は楽し。

塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」

塚本訳 ルカ 16:9-10
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

●建築という「小なること」を通じて主にある兄弟に奉仕できることは感謝。












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