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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    190201       このころトミ子プリンターカートリッジ注文
    190312(火)    東工大付属同窓会
    190224(日)14:00 トミ子フォーレ「レクイエム」キララ
      190207(木)    がん検診 あきるの保健所
      190112(土)18:00 なにこら 紀尾井ホール 
       181223(日)     キララ「第九)
    181214(金)13:30 ルピア在宅看取り
    181209(日)13:30 羽村フィル ゆとろぎ
    181202(日)15:00 新日フィル キララ チャイコフスキー
    181128(水)13:30 ルピア 認知症家族
    191103       結婚50年記念。金婚
    181118(日)14:00 今井館 月本昭男講義
      181115(木)  14:00 来年2月15日以降にMRI申込みと桑本先生診察申込み
    181110(土)   二本松有農研 ソーラー発表会 福島恵宅泊
    181108 木 阿伎留台 森医師 胃カメラ申込み 13:00-16:30 障子レクチャー
    181105 09:45 池谷医院
    181104       集会感話 13:40 キララ合唱祭
    181103 13:00 南原繁シンポジウム 学士会館


不条理は神の愛・・・ヨブ記を新約の光りで読む・・・ ++++++++ 所感

2018/03/16 05:30

180316(金)26人+6家族の祈り。不条理は悔い改めに導く神の愛であったということが解る日の来ますように●さかなのえΙΧΘΥΣ・イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)=イクスス(魚) ●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は、「聖書協会共同訳」パイロット版意見具申のヨブ記を」終了したが、その結論を読んで圧倒された。ヨブ記42:5-6 である。


「聖書協会共同訳」パイロット版2018

5私は耳であなたのことを聞いていました。

しかし今、私の目はあなたを見ました。

6それゆえ、私は自分を退け

塵と灰の上で悔い改めます。

新共同訳1987

42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。

42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。

新改訳1970

42:5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。

42:6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。

口語訳1955

42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。

42:6 それでわたしはみずから恨み、/ちり灰の中で悔います」。

文語訳1917

42:5 われ汝の事を耳にて聞ゐたりしが今は目をもて汝を見たてまつる

42:6 是をもて我みづから恨み 塵灰の中にて悔ゆ


●人生は皆ヨブのように不可解、不条理なことばかりである。かって集会の感謝会で最後まで東京大学の助手であった人が、「私の人生はこんなはずではなかった」と言われたことがある。これに限らず、家族が得体の知れない病になっている人がいる。精神の病になった夫人を抱えた人からは私に「神がいるなら抗議したい」と食ってかかられたことがある。「この一問が解けたら東大に合格したんだが」と言った人は、その後「高橋君、俺の母親は本当の母親ではないんだ。一つ教会というところに連れて行って見てくれないか」と言ったことがある。彼は今何処!●人生は「涙の谷」である。旧約聖書の「ヨブ記」は人生の不条理を扱う「人類の古典」である。「俺の不幸は何故なんだ。」と呻く時が一度ならず訪れる。そんな時、ヨブ記の最終節(42:16-17)は慰めである。


「聖書協会共同訳」パイロット版2018

42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。

42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

新共同訳1987
42:16 ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。

42:17 ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。


新改訳1970

42:16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。

42:17 こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。

口語訳1955

42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。

42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

文語訳1917

42:16 この後ヨブは百四十年いきながらへてその子その孫と四代までを見たり

42:17 かくヨブは年老い日滿て死たりき


●かって子供に恵まれなかった某氏は「このヨブ記の最後を語るようではおしまいだ」と言ったことがある。しかし私は、このヨブのハッピーエンドは、この世的な充足がハッピーなのではなく、霊魂の救いを得たこと、そこに神の栄光が現れたことが書かれていると読む。ヨブは苦難の中に天から声を聴いて一瞬のうちに神の実在を「悟った」のである。

聖書協会共同訳」パイロット版2018

6主は嵐の中からヨブに答えられた。

新共同訳1987

40:6 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。


 新改訳1970

40:6 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。

口語訳1955

40:6 主はまたつむじ風の中からヨブに答えられた、


文語訳1917

40:6 是に於てヱホバまた大風の中よりヨブに應へて言たまはく

●ヨブ記の本質を新約の光で見てみよう。「聖書で聖書を読む」。悟りが先で聖書はそのあとである。その補強である。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 ルカ 13:4-5
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」


塚本訳 ルカ 15:13-19
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。


塚本訳 ヨハ 5:1-14
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

5:10 そこでユダヤ人(の役人たち)が病気のよくなった人に言った、「(きょうは)安息日だ、担架をかつぐのは規則違反だ。」
5:11 彼は答えた、「わたしを直してくれた人が、『担架をかついで歩け』と言ったのです。」
5:12 彼らが尋ねた、「『かついで歩け』と言った人はだれだ。」
5:13 しかしいやされた人は、それがだれか知らなかった。大勢の人がその場所にいたので、イエスは(そっと)立ち去られたのであった。
5:14 そののちイエスは宮で彼に出合って言われた、「ほら、直ったではないか。もう罪を犯すなよ。もっとひどい目にあうかもしれないから。」

塚本訳 マタ 5:29-30
5:29 それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。
5:30 もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。

塚本訳 ヨハ 5:1-14
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。
5:10 そこでユダヤ人(の役人たち)が病気のよくなった人に言った、「(きょうは)安息日だ、担架をかつぐのは規則違反だ。」
5:11 彼は答えた、「わたしを直してくれた人が、『担架をかついで歩け』と言ったのです。」
5:12 彼らが尋ねた、「『かついで歩け』と言った人はだれだ。」
5:13 しかしいやされた人は、それがだれか知らなかった。大勢の人がその場所にいたので、イエスは(そっと)立ち去られたのであった。
5:14 そののちイエスは宮で彼に出合って言われた、「ほら、直ったではないか。もう罪を犯すなよ。もっとひどい目にあうかもしれないから。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

塚本訳 ヨハ 4:15-26
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。
4:22 ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」

塚本訳 ヨハ 8:3-11
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】


塚本訳 ルカ 7:44-50
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』

塚本訳 マタ 10:29-30
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。


塚本訳 ルカ 19:2-10
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ヨハ 6:45
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである

塚本訳 Ⅱコリ7:9-10
7:9 (とにかく)今は喜んでいる。(もちろん)あなた達が悲しんだからではなく、悲しんで悔改めたからである。あなた達は神の御心に沿って悲しんだ、だから何事においてもわたし達から害を受けなかったのである。
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想おわり。どんな不幸でも神がご存知。それは人を悔い改めに導く神の愛


●「聖書協会共同訳」パイロット版意見具申 エレミヤ書 1-5章

●妻は午後自彊術





























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