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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


隠れた祈りこそ聴かれる ++++++++ 所感

2007/11/23 07:13

071123(金)(勤労感謝の日)4時半目覚め。朝の啓示「隠れたる祈りこそ聴かれる」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。多くの大企業のトップとの交流録。・・・・企業が大きくなるのはそのトップの資質であることがわかる。しかし単なる金もうけが目的の村上ファンドの村上氏やホリエモンには批判の目を向ける。野村が優秀になったのはそのトップであった田淵節也氏のすぐれた資質によったのだ。●デジカメの修理ができて昨日送られてきたので、久し振りの早朝散歩で朝の景色を撮影したが、PCのブログの不調で写真を掲載できないのは無念。イイヤ、イイヤ、世の中にはPCもデジカメも扱えない人の方が多いのだ。伝達や表現の方法はいくらでもある●早朝散歩で閃く。「十字架を負うとは隠れたる祈りを捧げること」なのだ。書物より、PCによるBbBやTSKより、早朝散歩で美しい景色を見る方がよいひらめきが湧く。●今朝のひらめき「隠れた祈りこそ神に聴かれる」について黙想連想。こういう連想は、コンコルダンス、注解書、わがBbB、それにTSKなどより、直接の天からのひらめきの方が力がある。効力がある。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。

塚本訳 マタ 14:23
14:23 そして群衆を解散させると、祈りのため自分だけ山に上られた。暗くなってもひとりそこにおられた。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳マタ 26:36
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」

塚本訳 マタ 23:37
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。

塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マタ 6:13-15
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

塚本訳 マタ 5:43-44
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。

塚本訳 ルカ 22:32
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

塚本訳 ルカ 21:2-4
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」

●人のために祈る隠れた祈りの思い出。思い出すまま。●私が洗礼を受けた教会を去る時、牧師は私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。もう45年も前のことになった●無教会の某夫人が「照男さんの今日あるのはお父様の祈りがあったからですよ」。私「・・・????」。しかし人の子の親になってわかるようになった。私が「イエスは神の子である」という超自然的な信仰を与えられたのは、亡き父の祈り、あの牧師の隠れたる祈りがあったからだ。その後も多くの人の祈りがあったからだ。●中沢樹先生ご夫妻が聖地旅行帰国のご挨拶に塚本先生をご訪問されて帰られるとき、塚本先生はその中沢先生御夫妻のうしろ姿が見えなくなるまでじっと見送られたという。塚本先生が御発病されたのは間もなくのことであった。中沢先生の奥様の生子さんは、その後「脳の病気」で意識のないまま10年以上も病床にあられて召された。中沢先生はその10年間の苦闘の日のあるとき夢を見られた。生子夫人が病院に行って「何でもなかったわよ」と笑顔で玄関に戻ってきたというのであった●中沢先生のお住まいは処分されたが、そこにあった小さなステンドグラス(「イエスキリスト神の子救い主」を表す魚の絵)が今井館の資料館建築に際して寄贈されたので2階のホールに取り込んだ●前田護郎選集の第一巻が最近送られてきた。その前田先生のこと。前田先生に躓いて去って行った若者が以前先生に贈られた「二本のネクタイ」があった。何と先生はそのネクタイ2本だけを生涯にわたって付け続けていたという。きっと毎朝ネクタイをするとき、その去って行った若者のことを心で祈っていたのであろう。これが隠れた祈り。その若者よ、「いずこ!!」

塚本訳 マコ 10:22-23
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

●この(うしろ姿を見送っておられた)というのは塚本先生の名敷衍。塚本訳は「伝道者訳」だと言うのは能代一郎牧師●ゲーテの詩。うろ覚え。「一人の少年が空高く放った矢はどこに飛んでいったのか見失ったが、老年になって矢が森の高い木の枝にに刺さっているのを発見した」というもの。(過日、ゲーテ協会に尋ねたが不明)。祈りというものは祈ったときには「果たして本当に聞かれるのだろうか」と思って祈る。それは当座はむなしくどこに行ったのかわからなくなる。しかし多くの日の後に別の形、思わぬ方法で、「思いに過ぐる」形で聴かれるものだ。

新共同 伝 11:1
11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。

口語訳 詩 126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●13:00 無教会研修所助言者会議。無教会に本格的な聖書学者がいなくなった嘆き●15:00 無教会研修所15周年記念講演援会。ルーテル神学大学名誉教授徳善義和「無教会はルターの信仰からなにを継承しているのか」●「無教会はドイツ敬虔主義の影響を受けている」という話に「我が意を得たり」であった。●質問時間に私が「聖餐式論争」。●教会は「聖礼典」を行うがゆえに永遠性があるということに考えさせられた。無教会主義集会は先生とか指導者の死ないしは老齢化で消滅する。●私は「見える言葉としての聖礼典の意味はわかるが、それは建物としての教会堂の存在と同じではないか」と質問。・・・この論争は「終末」まで続き、きりがない●帰途、喫茶店で懇親懇談。内坂晃(日本基督教団牧師)、武藤陽一、佐藤洋子、坂内宗男。議論は果てしなく続くので、早々に切り上げたのは正解。帰宅20:15.

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今井館聖書講堂で。徳善義和教授と。ピエティスムスのことを懇談した。

















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Comment
高橋様、
大島と申します。いつも楽しく拝見させていただいております。
ゲーテの詩ですが、おそらくロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow)の次の詩と思われます。

The Arrow and the Song

I shot an arrow into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For, so swiftly it flew, the sight
Could not follow it in its flight.

I breathed a song into the air;
It fell to earth, where, I knew not where;
For who has sight so keen and strong,
That it can follow the flight of song?

Long, long afterward, in an oak
I found the arrow, still unbroke;
And the song, from beginning to end,
I found again in the heart of a friend.

伝道の矢は、我が胸の奥深くに突き刺さり、長い年月を経てもなを光り続けていると、勝手に解釈しています。

南半球はシドニーで、唯一の無教会クリスチャン家庭として、家内と細々と暮らしております。
ブログ上で勝手なことを日々載せていますので、どうぞごらんください。

失礼いたしました。
【2007/11/23 12:49】 URL | Morio Oshima [ 編集] | top▲




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