to 日記と感想 「妻子を捨てよ」とはどういうことなのか
Top | RSS | Admin

2017.10 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 » 2017.12


将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


「妻子を捨てよ」とはどういうことなのか ++++++++ 所感

2007/11/30 07:48

071130(金)出勤日。6時15分目覚め。朝のひらめき「妻子を捨てよ」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。最終回。家族のこと。妻への感謝。自身の人生観。しっかりした人生哲学を持っている。残りの人生でやりたいこと二つ。一つはアメリカの変化を見届けたいこと。二つ目はブラジルで夕日に向かって祈っていた奴隷の子孫のあの思い出の地に行きたいということ。・・・・・見事な最終回だ。「祈りの姿」に感動している。●「妻子を捨てよ」とは何か。イエスもパウロも独身。その弟子たちもたぶん独身(ペテロを除き)、無教会の先達はなぜか夫人を神に取られている。内村、塚本、黒崎、矢内原、三谷、南原、・・・・・アー、神は何と残酷なことをなさるのか●人間は妻子を捨てられない。捨ててはいけない。しかしそれにとらわれては真に神に帰依することはできないというのだろう。だから儒教の日本ではキリスト教は躓きだ●キリスト教に入信するとき、あるいは信仰に深くなるとき「父母を捨てる」例はザラ。無数。しかし「妻子を捨てる」例はまれ。それだけ妻子や孫は強力な引力なのだ。捨てられないのだ●思い浮かぶ聖句。

塚本訳マタ 19:12
19:12 というのは、(同じ独身でも、)母の胎内から結婚できないように生まれついた者があり、また人から(無理に)結婚できないようにされた者があり、また天の国のために自分で(決心して)結婚しない者がある。(この最後のものが本当の独身である。)出来る者はしたがよかろう。」

塚本訳Ⅰコリ7:33-34
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。

●カトリックの聖職者は独身。誰にも足を引っ張られずに神に仕えられるから。しかしそれで信仰が深いかどうかは別●プロテスタントや無教会は妻帯。神は結婚の秩序をおきめになられた。イエスはカナの結婚式に招かれて行った。子供を祝福された。放蕩息子を迎える父を語った。十字架上で「母」を気遣った。そして何よりも神のことを「天の父」と言った。こういうことは結婚生活によって生み出される家庭内のごたごたや悩み喜びを知らないと「人に話せない」事柄なのだ。イエスは独身を勧めない。●問題は神よりも妻や子供や孫を愛してはいけないということなのだ。しかし果たしてそれができるか●内村鑑三は孫の正子さんをとてもかわいがった。その正子さんとは昨年の夏に軽井沢の「星野遊学堂」での礼拝でお会いした。秋田稔先生のご紹介。内村先生の額に似ておられた。●塚本先生はあるとき、内村鑑三に「先生は神様より正子さんの方が大切なのではないですか」というようなことを言ったら、内村の顔は真っ青になったという。「神にとられる」と直感したのではないだろうか●人間を神から離すものは財産と伴侶と家族。これはいったん神に返して、神の手からいただくこと。これが道である。それが、財産を捨て、妻を捨て、子供を捨て、孫を捨てることなのだ。そうすると正しい財産、正しい伴侶、正しい子供、正しい孫という関係になる●日経「何でもランキング」第一位の小伝馬町今半の「すきやき肉まん」をゲット。夕飯に食べたが、一個600円は少々高すぎる。●防衛省の守屋事務次官の過ちはその夫人が元凶。夫人をも逮捕したのは特捜部の正解●ヒルティは、女性の存在は、男性を良くするか逆に全く悪くするかのどっちかだと言っている。守屋次官の場合は後者。守屋夫人は夫の道を誤らせた。●キリスト教会は女性を清く正しく導かなければならない。真に神を信じる謙遜な心砕けた女性を育成しなければならない

スポンサーサイト
トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


<<「自分の十字架」とは何か | Top | 祈りはずっと後になって聴かれる>>




Comment


コメント












管理者にだけシークレットコメントをおくる



Trackback
Trackback URL
→http://teruonikki.blog55.fc2.com/tb.php/627-757879f1
FC2blog user only
| Top |
0814